小さな君と。小さなユリと。
黒田三郎の詩集、『小さなユリと』。
1960年に刊行された詩集で、初版本は5万円〜7万円くらいするが、まぁ、高価な本だが、2015年に夏葉社から復刻版が出て、それならば、古書で1万円弱くらいで入手できる。
いずれにせよ高い本で、なかなか手に取れないが、夏葉社は、ひとり出版社で、島田潤一郎氏の出版社であるが、とても素晴らしい本を出している。
『小さなユリと』は子育ての詩集である。親父と、娘、その、関係性の詩である。
妻の入院で、ワンオペで娘の世話をしなければならなくなる。子育ては戦争である。仕事の方が百倍楽だ。そういう人は多いだろう。子供は爆弾であり、まだ幼い子供は未知の世界だ。
黒田三郎は酒飲みで、酒を飲むと人格が変わった。この、どうしようもない宿痾を抱えて、愛娘を育てながらも、酒に走る。
『小さなユリと』は、森谷均の昭森社から出版されているが、森谷均は、神田のバルザックと呼ばれており、詩人たちを愛していた。多くの詩人の本を出版していて、愛されていた。
黒田三郎は、森谷均との思い出を長い随筆にまとめているが、そこで、20歳も歳の違う森谷と自分を結びつけたのはまずは酒、と書いている。
酒飲みの自分と、3歳の小さな娘のユリ、仕事をしながら、1人で彼女を育てる。
子供は我儘である。親は、様々な日常の問題、仕事の問題を同時並行でこなしながら、その我儘と対峙しなければならない。喜怒哀楽は激しく、こちらの状況を忖度することなく、心情を推し量ることもない。つねに全力をぶつけてくる。それを、妻に任せていた夫は、突然のワンオペに戸惑ってしまう。
仕事こそがほっと出来る時間、酒を飲む時こそがほっと出来る時間。子供は自分が如何に駄目な人間か、駄目な親かを突きつけてくるから。けれども、美しいのは子供との静かな時間。もちろん、その前には嵐があるのだが。
親ならば誰もが共感できることが多く描かれている。
美しい時間とは、日常そのものである。それを、芸術まで高めるのに、何も難しい言葉も、表現も、いらないのだ。