書店パトロール68 べらんめぇ!福田恆存、なんてぇ読むんだい?
今日、来年の大河ドラマの『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』のメインビジュアルが公開された。何か、こう、『八犬伝』を観たばかりなので、妙な親和感。
然し、私は、今年の大河は完走出来なかった。5月くらいの時点で、振り落とされている。別に面白くないわけではなく、チャンネル争いで敗けただけのことである。リアルタイムじゃないと、気分も乗らないし。
で、そんな『べらぼう』、べらんめぇ!てやんでぇ!的なお江戸を感じさせるビジュアル、最近は、書店にも、ちょくちょく蔦重本が置かれ始めており、まぁ、これはもう、年末の風物詩、再来年は『豊臣兄弟』なので、これも、既にムックの企画編集がスタートしていると思うが、まぁ、この大河入れ替わりが、やはり、日本の一年の終わりと始まりを感じさせる。で、蔦重本、その中でも、面白そうなものが一つ。
蔦屋重三郎は吉原で生まれたそうで、遊女たちを浮世絵を通してスーパースターに仕立て上げたそのプロデューサーぶりが書かれており、然し、その影の部分、綺羅びやかな世界として飾り立てようとも、その実は『苦界』であり、当時の遊女たちの置かれた状況などを書き、蔦屋重三郎の功罪を突いている。
なるほど、蔦屋重三郎の一面ではあろうけどれども、然し、そういう話であれば、大変興味深く、話題になりそうだ。
伝説の遊女役花の井に小芝風花さんが扮しており、どのような展開になるのかと楽しみである。遊郭、という舞台が重要になってくるため、どのような話運びをするのかわからないが、然し、やはり、流石に五社英雄的、そのような作品にはならないだろうが、五社英雄、言いたくなる名前。
然し、吉原、とか、遊女、とか言うと、また『たけくらべ』を思い出してしまう。
で、文学コーナーへ移ると、福田恆存の名前が。
福田恆存、というと、まぁ、まずはシェイクスピア、が思い浮かぶが、然し、私は、あんまり詳しくなく、有名な、『人間・この劇的なるもの』だけ読んで、而も、中途で辞めたので、これはもう、完全にお呼びではない。
で、この本は、福田恆存の書簡が納められており、うーん、2,970円。大変に高価である。なので、そっと棚にも戻し、それから今度は、『美しい人-佐多稲子の昭和』を手に取る。
プロレタリア文学作家の佐多稲子の本である。とかなんとか言いつつ、私は全然詳しくないので、うーん、プロレタリア文学ももっと勉強しなければ!と思いつつ、然し、この本を買うほどの余裕はない。何故ならば、私も又、プロレタリアだからである。
佐多稲子は、YASUNARIの初恋の人である初代をモデルにした小説を書いていることしか識らない。それも、YASUNARI絡みの本で見かけたくらいで、読んだことはもちろんない。
そう、真の評論家であるのならば、対象作家の作品は全集はまずは前提条件として読破して、このように、その人の縁のある文章、縁のある人の作品、縁のある人がモデルの作品、それら全て目を通さなければならないのだが、作家の作品3冊くらい読んだだけど批評、とか言い出す人がいる。そういう人の評論は、総じてピントがズレているため、読む価値がない。発見、新しい風を感じない評論には価値がないから、それを吹かすために皆必死に調べ書いているのだ。
で、プロレタリア文学、といえば、誰もが識ってる『蟹工船』。小林多喜二、で、あるが、まぁ、私は、プロレタリア文学に明るくないため、全然詳しくない。読まなければならない本が多すぎて、もはや渋滞している。
もう少し、軽やな本はないかね……、私は、そんなに重い本ばかり読むことが出来ないのだ……、と思いつつ、然し、けれども、別に、本はその全てを読む必要性はない。重要な所をつまみ食いするだけでもいいのだ。だから、短編集でも、全部を読む、と、その作家を深く識ることが出来るけれども、まぁ、そこまでせず、ほどほどに、1作読んで置いておく、というのも肝要である。さっきと書いてることが矛盾している。だって、評論家じゃないし。
そうして、今度は小泉八雲の名前を見つける。NHKの大河ドラマ、そして、NHKの連続ドラマ小説、NHKの風が吹いている。
小泉八雲の伝記小説だ。
ラフカディオ・ハーンは、小説の書き出しに気を配れ、と言っていたそうで、その最高の方法は、最高の書き出しが浮かぶまで待ったり推敲したりするのではなく、冒頭を取り除けて、書き出しにふさわしい箇所から始める、というもの。
なるほど、確かに文章は、文章というものは、興が乗れば頗る生き生きとしてくるものだ。誰もが一行目は迷うわけだが、YASUNARIの書き出し、例えば、『伊豆の踊子』、『雪国』、などは、書き出し界の王、であり、あんなものは望めない。けれども、小泉八雲の方法ならば、確かに、それなりの書き出しになるかもしれない。
小説は、始めの2ページでだいたい良し悪しが判明する。だんだん面白くなる、だんだん冴える、ということはなく、ぱっと、その顔を見ただけで、目を奪われる、美しい人と同じように。