なぜ働いていると文章が書けなくなるのか【自己紹介】
学生時代は、文章を書くことが大好きだった。書きたい内容が次から次へと湧き出てきた。
小説やコラムを書いてクラスメイトに読んでもらい、「変わっているね」と言われるのが楽しかった。「私を見て! 私の面白い考えを読んで!」と体中が叫んでいたように思う。
それが社会人になってしばらくすると、自分の中から何も出てこなくなった。人に伝えたいことが何も思い浮かばないのだ。
なぜ文章が書けなくなったのか - ①恥ずかしくなったから
変わっている自分のことが好きだった私は、大人になるにつれて、個性ばかり出していても社会では上手くやれないことに気付いていった。自分は人と違っていて面白い存在だと思っていたのが、自分は変わり者で世間知らずのガキだと思うようになった。
自分が話した内容で場の空気が乱れると疲れるし、いちいち自分の存在を主張するのが恥ずかしくなった。
大人になる上で必ず必要な変化だったとは思うが、常識のある人として社会に馴染もうとした結果、頭の中から面白いモノの捉え方や考え方が消えていったように思う。
なぜ文章が書けなくなったのか - ②自分の文章に価値があると思わなくなったから
子どもの頃は自分がとてもユニークな存在だと思っていたが、大人になるにつれてどこにでもいる取るに足らない存在であることを知っていった。自分が思いつくことはほかの人にも思いつくことばかりで、自分が書きたいものはもうほかのだれかが書いている。そうなると、何のためにわざわざこの自分が発信する必要があるのかわからなくなってしまった。
なぜ文章が書けなくなったのか - ③空想に耽る余裕をなくしたから
何というか、社会人の日常をこなすときと、小説やコラムを書くために想像力を働かせるときの脳は、モードというか環境設定が違うと思う。社会人設定に合わせると想像や空想ができなくなる。
社会人になると、当たり前だが、1枚の絵から壮大な物語を組み立ててしまうような想像力より、日常の現実的な雑務の方が大事になる。
大学で文章表現を専攻していたとき、作家の先生に「社会人になって日常に追われるようになったら空想する力が消えていくからね」と言われたのだが、それを本当に身に沁みて感じることになった。
それでも何か書きたい
自分を主張するのが恥ずかしくなってしまったし、自分が書くものはありきたりであることを知っているし、昔あったような自由に空想する力ももうない。
それでも何か書きたいと思う。
まずはnoteで、文章を外に発信することを学生時代ぶりに再開してみる。
以上、初投稿の自己紹介でした。
最近読んだ本
文学の悦びが詰まった本。読んでいる間は楽しくて仕方ないのだが、一編読み終わって本を閉じ、ほかのことをし始めると、自分の気持ちが読む前よりもしゅんと沈んでいることに気付く。
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