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源氏物語 現代語訳 末摘花その7

 元旦が過ぎまして、今年は男踏歌が催されることになっておりますので、例のごとくあちらでもこちらでも管弦のお稽古でてんてこ舞いの大騒ぎですが、源氏の君は姫君の淋しいお住まいが気に掛かられますので、七日の白馬の節会が終わって夜になった頃ご退出なさいます、宿直所に一端泊まった風を装われ、深夜になってからおいでになられました。かつてに比べ、家の雰囲気も多少賑わいらしきものが感じられるようになりました。姫君も、幾分かは愛想よくなられたようです。年が改まったのを境に見違えるほど変わってくれたら、と思われておいでです。

 陽が射しはじめたたりで、わざとらしくぐずぐずしながら立ち上がられます。寝殿に東の妻戸がすでに押し開けられております、正面の廊下には屋根もなく倒壊していますから、日射しがたちまち射し込んできて、わずかに積もった雪にきらきらと反射し、ずっと向こうまではっきりと見て取れます。源氏の君が御直衣をお召しになられるお姿を、わずかに前に出てこられ、何かに凭れながら半身になられて眺めておられる御頭からは、たっぷりと豊かな御髪がこぼれ、麗しいことこの上ありません。ひとつお歳を重ねられたのを期に、よくなったところを見つけられたら……、と期待されつつ、格子を引き上げられました。

 いつぞやのお可哀想な成り行きに懲りて、敢えて格子も上げ切らず、脇息を寄せてきて格子を持たせかけられますと、鬢の辺りの乱れを整えお繕いになります。信じられないほど古ぼけた鏡台、唐風の化粧用具入れ、髪結いの道具箱などを女房たちが運んでまいりました。なんと男用の道具もちらほら混じっており、源氏の君はなかなか洒落ていていいじゃないかと感心なさいます。女君のお召し物が、今日は珍しくましに見えますのは、いつだったかお贈りした衣箱の趣向をそのまま纏っておられるからなのでした。源氏の君はそれとは気付かれず、印象深い地紋がつい目を引いてしまう表着だけをご覧になり、あれ、と思われます。「せめて今年からはお声のひとつもお聞かせ願えませんか。心待にしている鶯の初音もさることながら、貴女様のお振る舞いが変わられるのが待ち遠しくてなりません。」と仰いますと、「囀ずる春は。」とだけどうにかこうにか震える小声で古今集の歌の一節をお洩らしになられました。「ほらね。お一つ歳を重ねられた証ですよ。」そう仰って朗らかに笑われて、「夢かとぞ思ふ」と同じく古今集の歌をひと捻りされて出てゆかれますのを、物に凭れ臥しててお見送りなさっておられます。口許を覆われておられるのが横目に映りますが、依然としてのあの末摘花が匂いも鮮やかに突き出ておりました。なんて醜悪なんだと源氏の君は苦々しく思われます。

 二条院にお戻りになられますと、紫の君が、末頼もしい可憐なお顔でおいでになり、紅というものはこうも親しみの持てる色であったかとしみじみご覧になられております、幼いながら無地の桜襲を優美に着こなされ、どこまでも無邪気で、目に入れても痛くないほど可愛くていらっしゃいます。古式を重んじた祖母君のご薫陶でしょうか、お歯黒もまだですが、この度お化粧をさせられ、眉が際立ちましたので、更にいっそう美しさと清らかさが増しました。源氏の君は、ご自分のお心のなせるわざとは知りつつも、どうしてまた進んでああも面倒な縁を結んでしまうのだろう、こんなにも愛しくいじらしい人だけを相手にしていればいいものを、と因果な我が身を省みられつつ、いつもの雛遊びをご一緒になさいます。

 絵などをお描きになり、色付けをなさいます。いろんなものを愉しそうに面白おかしく描き散らされます。そこへ源氏の君が横から描き添えられます。髪のやたらと長い女を描かれ、鼻先に紅を付け加えられますと、絵に描いただけでも目を背けたくなるほどの不細工ぶりです。ふと鏡台に映ったご自身の秀麗なお顔が目に留まられ、手づからちょこんと鼻に紅をさして色付けてご覧になりますと、ここまで美しいお顔であっても、ありえない色が混じりますと見苦しくなってしまうのは当然なのでした。それを目にされた姫君が大笑いなさいます。「私がこんな風に変てこりんになったら、どうされますか。」とお訊ねになられますと、「絶対に嫌」と血相を変えられ、まさか紅が染みついてしまうんじゃないかしらとはらはらなさっておいでです。源氏の君は紅を拭う振りをされ、「全然白くなりませんよ。無益ないたずらをしちゃいました。お上がご覧になったらなんと仰いますやら。」と真面目くさって申されますので、いたく心配された姫君が、お顔を近づけられて拭われます、「平中じゃありませんからこれ以上余計な墨などつけないでくださいよ、赤ならばまだしも。」などとご冗談を仰いますご様子は、どこからどう見ても相思相愛のご夫婦です。

 新春らしいまことにうららかな陽射しの下、花の待ち遠しい中、いつの間にか木々の梢が霞み渡り、梅が微笑むように綻んでおりますのがはっきりと見て取れます。階段屋根の麓の紅梅は、いつも真っ先に咲くのですが、すでに色付いております。

紅の花だけはどういうわけか気が滅入る、枝振りは悪くないのだけれど

困ったものだ、と自嘲気味に大きなため息をつかれました。

さてさてこういった方々のその後はどうなりましたでしょうか……。

●編集後記●

〇末摘花
ひっそりと暮らす、身分の高い女性。光源氏と頭中将から手紙がくるがどちらにも返事はしない。が、その後、光源氏と契りを交わす。そして実は不美人であることが明らかになってしまう。

ひっそり暮らしていた「末摘花」を、周りが勝手に妄想し騒ぎ立て、最終的に容姿を揶揄されてしまうという……。
それでも、生活の面倒を見ようと決めたのは光源氏の優しさなのかもしれません。
その後の紫の上との戯れはやっぱりちょっとなぁと思ってしまいますが。

それにしても、光源氏と頭中将のイケメン二人から手紙をもらったのに返事をしなかったのは、身分の高さに合った気高さがあるような気がして、なんとも不思議な女性です。

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