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明日の風はどう感じるだろう

休職して2ヶ月が経とうとしている。

このnoteの初記事にあるように、
頑張れなくなる日が来たのは突然だった。

何に強いストレスを受けていたのか、
正直休んでも、通院しても、
自己解析してみても、
よくわからないままだ。

休職の意思を職場の上司と先輩へ伝えに行く日、
朝目が覚めて、不思議とスッと起きることができた。

その前日まで布団から起き上がることができず、
身体が石のようにかたくなっていたのに。

その日はちょうど早朝出勤当番だったから、
間に合うように早い電車にも乗った。

診断書の内容を伝えることや、
休職したい意思を伝えることへの緊張感はあったものの、ここまですんなり動けていることに驚いた。
このとき少し安堵したのも覚えている。

通勤の電車の中では色々なことを思い出した。

仕事自体は楽しくて、
やっと自分なりのやり方を試行錯誤したり、
様々な繋がりを感じ始めたりしていたところだった。

きっと、憶測だけど、
わたしは身体とこころが
環境にうまく馴染めなかったのだと思う。

入社してもう何年も経つのに、
自席に座っているだけで胸がドキドキしてしまう。

周りの女性社員同士の繋がりを見ても、
動悸がしていた。

一人でいることが好きだし、
平気だった私にとって
少し窮屈さがそこにあったように思う。

気が付くと、こころのコップの水が
表面張力を超えて溢れてしまっていたようで、

退勤時はところ構わず電車でも駅中でも
涙が出てしまうようになった。

それから明日が、朝が、
来るのが嫌すぎて夜うまく眠れなくなった。

日曜日の夜は尋常じゃないくらい憂鬱だった。

だけど、
日によるもののご飯は食べられたし、
まだ時々は笑うこともできていた。

すごくつらかったけど、
「まだ大丈夫。」って自分に唱え続けていた。

出勤の日は一緒に暮らすパートナーから
腕に「大丈夫!」とか「ファイト!」とか
そういう文字を書いてもらっていたなぁ。

わたしにとって最強のお守りだった。
今思い出しても、そう思う。
会社で苦しくなったりつらくなったりしたとき
腕のその文字を見て、息をしていた。

弱いところも認めてくれるひとが
側に居てくれたから頑張れていた。

まだ弱々しいままだけど、
今も自分を見失わずに居られるのかもしれない。

話を戻して、
当時の私は心療内科へ行くことを避けていた。
そういうところへ行くのが怖かったし、
薬を出されたらどうしよう、とか
そういう無駄なことばかり心配していたせいだ。

こうして文字にしたときも、
この話をさらっと人に話したときも、
「そんなこと、社会人ならいくらでもある」
と言われる。

確かにそうなのかもしれないし、
そうじゃないのかもしれない。

正直言って、そういうのはどうでも良い。
その人のもっているつらさは測れないし、
その人の痛みは本人にしか分からないから。

それは専門的な知識をもつ先生でも、
血の繋がった家族でも、
どれだけこころを許している友人や恋人にも
きっと100%完全には理解できないものだと思う。

初めて心がここまで壊れてしまって
気付いたことが幾つもある。

私にはそれが救いだ。
今では人生経験のひとつだと思える。

身体とこころが痛みを感じるうちは
生きているし、きっと生きたいと思っている。

どうにかしてあたたかい場所へ脱出できないか
もがいているところなのかもしれない。

痛みをもち続けることが
どれだけつらくて苦しいか体験したから、
なにか痛みをもっている人がいたら
そっと、そっと側にいたい。

人の痛みは目にみえないから、

知らず知らずのうちに傷を深くしたり、
新しい傷をつくってしまったりしないよう
言葉と行動は大切に考えていきたい。


そして、穏やかに誠実にいたい。
自分の生活を淡々とこなしながら、
鼻歌をうたうように、やわらかく居たい。

優しさは、
想像力と勇気でできていると思う。

他の誰にもなれないなら、
こんな自分でもなるべく大切に、認めてあげながら、
不器用にでも生きていきたいなと思うようになった。

この期間のことはきっと生涯忘れない。
忘れないけど、記録に残しておきたいから
またこのことについてはnoteに書こうと思う。

明日の風が少しでも気持ちよく感じられますように。


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