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それそのもの

稽古で繰り返される教え。
他の時には別の言い方で何度も出てくる教え。

時間という錯覚。

一瞬先でも未来予想図を布石のように打っておくこと、
おかしいと思う。

そこめがけて体を使うとか、
そこめがけておいて目の前見ないとか。

安心の気持ちが自動操縦代わり、みたいな誤解感。
ただの夢遊病状態なのに。

いや、頭は未来を描くかもしれない。

でも実際は? 目の前で起きていることは?
切り取れるのか?

どこで立ち止まって切り取ったのか?

実際の方が頭よりも優勢になり始めると、
頭もそんなに妄想しなくなる気がする。

次の瞬間に何が起こるか誰にも何もわからない。

そんな瞬間に立つことは、素晴らしいを越えて、
当たり前になると思う。

なぜなら、どう考えてみても、
それ以外はすべて間違ってるから。

ここの稽古、ロマンとか妄想を肥やすものではなくて。
相対認識が一切関われない真実ほど強力なものはなくて。

だからこそ、この稽古は信頼できるのであり。

2019/12/24 久保 真礼