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居場所・活動・コミュニティの違い

活字なんて、マジ読まなくなった。
今はほとんど、動画だな・・・

ときどき、面白いショート動画があると送ってくれるKさん。

「そういえば、bubuさんが好きな村上春樹、新刊出しましたねぇ。
俺も読んだけど、なんとなく時代的に向田邦子の方がしっくりきてたな」

そんな話から、なつかしい紙の本の話になった。

「俺なんて、悪さばっかりしてて、あとはラグビーでしょ、
本とも女とも10代は全く無縁でしたよ。
家族ってもんもほとんど崩壊状態だったから
女心も、家族ってもんの裏表も、向田邦子の本で知ったようなもんですよ。
退屈過ぎて何もすることがないって時間ができない限り、
俺なんて本なんか読まない人生だったと思う。
あのまま、突っ走ってたら、絶対、bubuさんとなんか会ってねぇ人生だよな(笑)」

そうかな、私は結構、中学のころも
ひとりでいることが多かったけど、なぜかイカツイ恰好の男子とは
よくしゃべってたんだけど・・・

「いや、俺は、図書館女子なんて、辛気臭い女子はダメでしたよ」

そっかぁ・・・
bubuにとって、図書館は「ひとりでいても追い払われない」大事な居場所だった。

「図書館なんてね、bubuさんと初めて行ったんだからさ。
すぐにトイレ行きたくなる不思議な場所だったなぁ」

Kさんとは、畑系の活動を何度か一緒にしたことがある。
bubuの中で、活動とは
それこそKさんとbubuのような全く縁遠い感じの人同士も
国籍・年齢問わず
「活動」を真ん中に置くと繫がれる、
社会的役割のない、自由で平等な空間。

「そこで、俺はbubuさんみたいな女子や、子どもとかね、
そういう、普段関わらねぇ人たちへの接し方を知ったわけですよ。
本の中で読んで知ってたことの実践版ってやつです」

でも、向田邦子の時代より、ずいぶん変わったよね・・・

「いやぁ、きっと人間の根っこの部分はそんなかわっちゃいませんよ。
みんな一人じゃ淋しいし、だれかに優しくしたいとか、
誰かに認めてもらいたいとか、いいことしながら、悪いことして、
金ではどうにもならねぇことを
金でどうにかなるって追い求めてるってのは、
変わらないんじゃないっすかね」

なんだか、池波正太郎の無記の世界みたいなこと言うねぇ・・・

「そんなに変わるもんじゃないでしょ、前にbubuさんが言ってたように
俺たちは、サルの群れから大して変わっちゃいねぇんですよ。
安心して思った事言える場所があって
欲どおしくならなけりゃ、
群れの中で、こころ平和に暮らしていけるんですよ。
本来は、それが家族ってやつで、人生で最初に体験できる
手本があれば一番幸せなんですけどね。
それを経験していないと、なかなかどうしたらいいか、わかんねぇ。
こればっかりは、本を読んでその通りしてみても、
うまくいかんもんですよ・・・
ひとりで考えていても頭でっかちになるばっかりで。
いろいろ失敗しながら経験していくしかない。
俺なんか、未だに失敗ばっかり反省ばっかりですけど」

血縁でいても、家族になれない。
地域はあっても、コミュニティーはない。

ひとりでも安全な居場所で、我を取り戻し
活動を通して、コミュニティでの振舞い方や群れでの生活習慣を知り
コミュニティの一員として、その継続方法をみんなで考えていく・・・
Kさんとの縁は、そんな経過で今に続いているような気がした。

ニンゲンが生きていく上で一番大切なことは
暮らしの中で、
知らず知らずのうちに学んでいたのかもしれない。

昨今、社会的孤立が問題となったり
コミュニティが形成されにくくなっているということは
新しい道具の使い方を知ってワクワクしすぎて
群れをなす猿人類の動物としての感性を
置き去りにすぎてしまっているのではないだろうか・・・

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