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徒然ならない話 #19 どこか、とある恋の終わりで

彼と会う時、わたしが興奮することは一度としてなかった。
それが翻って彼を好きでないという意味になるわけではないけれど。
彼もまた(あくまでわたしの想像の範囲内であっても。)、きっと興奮などしたこともなかっただろう。
彼が作り上げる表情はいつも最小の動きと、最低限のニュアンスだけしか読み取らせてくれない。
わたしはそれとなく多くのことをつかみ出して、彼の静かな水面に些細な、でもはっきり見える揺らぎを生み出そうと必死だった。

彼は決してわたしに無関心ではなかった。
かといって、他の誰よりも関心を寄せるほど、わたしは彼にとって大きなピースでもなかった。
だから彼は、わたしが何か言えば聞いてくれたし、わたしが何か問えば答えてくれた。
わたしが行きたいところには一緒に行ってくれたし、喫茶店でわたしがベタにもクリームソーダを頼んだら、彼もまたアイスコーヒーを頼んで一緒にいてくれた。
それでも彼はわたしの目を見て話すことは稀で、基本的にはわたしではないどこかを見つめていた。
いや、というよりは何も見てなどいなかったようにも思える。
上の空、だったのかなと考えても、彼はそれにしては弁が立つし、不用意に言葉を使わず、かといって慎重さを漂わせるわけでもなく、あっけらかんと話をするのだ。


わたしは元来、男の人には強さを求めてきた。
もちろん、男の人が全員強いわけでも、賢いわけでも、その他様々な面で優位にあるわけでもないことはわかる。
だけど、わたし自身、わたしの弱さを知っている。
それも性格の悪い弱さを。
人が自分の弱さを顧みる時、そこには複数の反応パターンがある。
弱さと理想のギャップに苦しみ克服しようと立ち上がるか、ギャップそのものから目が離せなくなって居座り続けるか。
あるいは、自分とは違う強い人を見て触発されるか、そこでもまた落差に絶望するか。
色々あると思うけど、わたしは弱さを克服できるタイプではなかった。
弱さを認め、一緒に上手に付き合っていくタイプでもなかった。
わたしにとって弱さは、自力で解決できない観念的な部分に端を発するものであって、そこから逃れることも、強さを見出すこともできない。
だからわたしは、自分以外の何かに縋るしかなかった。
どうしようもない自分の弱さを、圧倒するように覆い隠す強い光が欲しかった。
だからわたしは、いつからか強い人に恋をするようになった。
強さを持つ人と一つになれば、脆い自己もろとも同化してくれると期待した。

それでもわたしは変わることも、誰かに変えられることもないままだった。
そんな時に出会ったのが彼だった。
彼は出会った当初からあっけらかんとした人で、第一印象は「色々なことに淡白そうな人」といった感じだった。
拒絶するそぶりはないし、人に好かれる愛想だってある。
だけどどこか、感情の振れ幅が小さいように感じた。
わたしはわたしの見てきた、聞いてきた彼しか知らないから、本来の彼は真逆なのかもしれない。
でもそうは思えないほど、彼は、いつも何か達観や、見据えたような平静を持ち歩いているようだったから。


わたしは彼の感情をたくさん引き出したくてあれこれやってみたけど、彼はきまってクールな表情で言葉少なに反応するだけだった。
もちろん微笑むこともあった。ただそれは、彼の新たな一面を引き出せたと言うにはあまりに程遠い小さな揺らぎで、彼は本当につまらないと感じているんじゃないかと何度も思ったけど、それにしては彼は変なところで親身になってくれたり、そばにいてくれた。
だから彼がわたしのことをどう思っているか、なかなか掴みかねてきたのだ。

それに彼は、とても強そうな人には見えなかった。
肩幅は広いし、顔立ちは端正で声も爽やかだった。
それなりに体格も良くて、彼は身体的にはちょっとは強そうな部類に入るのかもしれない。
けど、彼の肉体でない部分には、強さというよりは悟りや静けさがあった。
圧倒的な自信と力で守ってくれるような言葉も、弱さを受け止め強さで包み込むような救いもなかった。
彼はただただ、視界に入るわたしを見た。
わたしがいかにも察してほしそうに弱さを匂わせたとしても、彼は必要以上にわたしの瘡蓋に触れることはなかった。
彼はわたしを、好意でも同情でもなく、静かに見据えていた。

お世辞にも強さで包み込むタイプとは言えない彼に惹かれたのは今でも不思議だけど、わたしは彼に多くのものをもらったし、彼はわたしに「与えた」なんて思ってもないだろう。きっとわたしが勝手にもらっていっただけなのだ。


彼は結局、わたしの弱さのせいで、わたし自身の手で拒絶してしまったのだけれど、愚かにもわたしは彼の存在を至る所に刷り込んでしまっていた。
だから本人不在の中で彼は讃えられ、偶像化し、わたしの願う彼に縛り付けられてしまっている。
彼はわたしを傷つけない、だけど愛さないギリギリのところで、わたしと一緒にいてくれていた。
彼は中途半端な優しさや好奇心を持ち込まないまま、最後まであっけらかんとした表情でわたしを振ってくれた。
今も彼は、わたしの初恋で、わたしが強さの他に見出した光だ。



「ああいう元気っ子、って感じの女の子はタイプじゃないでしょ?」
「元気があるのはいいことだよ」
否定しないのも卑怯だと思いながらわたしは
「どういう子だったらあなたのこと、死ぬほど掻き乱せるのかな」
と、それに自分がなることは生涯無いだろうと一人で落胆しながら返す。
「そもそもあなた、少し人に興味なさげというか、淡白に見える節があるけど」
「頭の中で色々考えてるんだけどね」
彼はいつものように伏し目でつぶやく。

「わたしはあなたのことが好き」
「うん。何度も伝えてもらえてるから、よく知ってる」
そういう時に限って彼はわたしをよく見て話すから、実は人を手のひらで転がすのが好きなだけなんじゃないかとも思う。
俺はやっぱり友達として一緒に、と彼が野暮なことを言いかけたので、それはダメ、と遮った。
「わたしはわがままだから、それじゃ満足できない。あなたがわたしを一番にしてくれて、わたしが胸を張ってあなたを一番にできる関係じゃなきゃ、わたしはあなたの綺麗なとこだけしかわからないの」
胸を張って、のあたりから声が震えて、目の下がじわっと温かくなってきて、自分が泣き始めていることに気づいた。
別に人前で泣くことなんていまさら珍しくもないけど、彼の前でこれ以上取り乱すのは最も恥ずべきことのように感じた。
「一番には、どうしてもしてあげられない」
彼は悔しそうな顔でも申し訳なさそうな顔でもなく、落ち着き払った表情で答えた。
「お互いがお互いだけにはなれなくても、俺は一緒にいられるだけで楽しいよ」
続けて出てきた彼の「楽しいよ」には、高揚も切実もない代わりに、それがわたしの弱さを持ってしても覆せない事実だと示すだけのフラットなものがあった。
「わたしはそれになりたかったの。わたしとあなたがよかったの」
こんなに言葉を紡ぐことが難しかったとは。呼吸と言葉のタイミングがずれてうまくいかない。
今の関係は、ある意味では幸せなのだろう。好意を伝え続けてもなお繋ぎ止められる関係性なのだから。
だけど彼は繋ぎ止められても、わたしを抱いてはくれない。
わたしの内からしつこく湧き上がる情動を、甘い言葉と行動で癒してはくれない。
それは彼にとってわたしではないから。

「わたしはもう無理なの」
最後まで彼の揺らぎには辿り着けないまま、先に根を上げたのはわたしの方だった。
「わたしはあなただけのままで消えたい」
そう言って肩を震わせるわたしのことを、彼は痛いくらいじっと見据え続けた。





街で目にする人の中に、たまに彼に似ている人がいる。
その度にあの射抜くような目を思い出して、この人じゃないと我に返る。

わたしにはあいかわらず、あなただけです。




あなたが見たわたしは弱かったですか?
たしかにわたしは弱いけど、あなたがいるとうまく隠せるんです
どんなにあたたかくて心のこもった優しい言葉よりも、
あなたのその静けさが、
わたしにとっては何よりも愛おしく、
ぜんぶを捧げつづけるに足るのです



みなさんこんにちは、こしあん派です。
ずっと前に書いたきり下書きに眠っていた物語を、この前久しぶりに発掘しました。
文体も構成も適当だけど、当時感じていたものを何か別の形で昇華したくて書いたことをよく覚えています。

どうして人は人に引き寄せられるんだろう、といつも思います。
弱い人が強い人に引き寄せられることがあるなら、強い人が弱い人に引き寄せられることもあるんでしょうか。
もしそうなら、その時強い人が感じているのは庇護欲なのでしょうか。
それとも征服欲なのでしょうか、優越感なのでしょうか。

ただ僕は、弱い人の僕は、強い人がどう考えて感じていようが、その光の恩恵に与れるのならそれでもいいとも思います。
側から見ればそれは依存で、健やかな関係性ではないかもしれない。
でも、健やかに惨めでいるよりは、見苦しく救われていたいのです。

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