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徒然ならない話 #15 しあわせと苦悩のあいだ

前回noteを書いてからずいぶん間が空いてしまった。
ここ最近は大学の方も長期休暇に入り、僕はというと実家の方に帰省して高校時代の友人たちと連日遊び通した。
ただ、この1ヶ月は僕にとって過去最悪に地獄みたいな出来事が続き、
とても以前のようにnoteを更新する気力はなかった。

まず一つ。
実家に戻る前に、母方の祖父母が住む長野に立ち寄ってきた。
その間にいろいろな観光名所に行ってきたのだが、
正直言ってあまり楽しめなかった。
普通ならもっと気分も上がっていたと思う。
だけど、すれ違う人たちの楽しそうな様子を見ているだけで、
自分がどんどん卑屈になっていくのがわかった。
カップルが仲良さげにソフトクリームを分け合っていたり、
小さな子供が親や兄弟と楽しそうに遊んでいたり、
そういう周りの幸せが急にうらやましく、妬ましくなった。
自分が置かれている現実や自分の偏屈さを引っ張り出されたようで、
体が痒くなったし、全身から汗が噴き出したと思えば次は鳥肌が立ち始めた。
そのうち落ち着いて立ち振る舞うことが難しくなってきて、
黙ったまま一点を見つめ続けることでなんとか意識をはっきりさせようとしたけど、
たまらなくなってトイレの個室に駆け込んで吐いた。
そこで誰でもいいから「大丈夫?」と心配してほしがっている自分に気づいて、
それも気持ち悪過ぎてもう一度吐いた。

白馬村(ウィンタースポーツの名所)に行った時、標高の高い場所なだけあって天気が急変した。
直前まで晴天、かんかん照りだったのがいきなりの土砂降りだ。
雨具なんて持ってきてないので、それはもうひどいずぶ濡れ状態。
そして麓の方に降りるためのロープウェイは行列ができていた。
いつまで雨に打たれるんだろうと思っていたら、列の前に並んでいた同い年くらいの男の子が傘を貸してくれた。
「もし良かったらこの傘使ってください、冷えちゃいますよ」
「ホントすいません、ありがとうございます〜!」
と言いつつ傘を受け取ると、男の子はニコッとした表情で答えてくれた。
爽やかイケメンすぎる、と狼狽えたが、その後でまた自分の中がおかしくなり始めているのに気づいた。
こういう優しさが足りない、もっと優しくされたい。
なんでこんなに優しさに飢えているんだろう。

麓に戻ってから傘を男の子に返した。
「風邪引かないといいですね笑」
男の子は相変わらず爽やかに接してくれたけど、
僕は悪寒が止まらなくて逃げるように立ち去った。


そんなこんなで長野を出て実家に戻り、
高校時代の友人数名と会ってきた。
恋人ができた人もいれば、順調なペースでいずれは結婚しそうな人もいた。
毎日仕事や遊びで忙しくしている人もいた。
この春はみんな就活やらなんやらで忙しくてあまり集まる機会を持てなかったから、
お互いに溜まった話題や報告を一気に放出した。


予定を終わらせて一人暮らししている関東に戻ってきた。
予想通り、すぐに寂しさでいっぱいになった僕は最近再開したマッチングアプリを開いた。
すると、いいねした人とマッチングしていて、すぐにやりとりが始まった。
写真に写る見た目だけじゃなく、実際にやり取りする中でも話しやすいいい人だと思った。
沈んでいた気分が少しだけ上がった。
今回こそ心から幸せを感じられるかもしれない。

翌朝起きたらその人のアカウントは消えていた。
マッチングアプリ上の関係なんて指先一つで消えるものだし、以前にも同じようなこともあったから、特段驚きはしなかった。
けれど、心の底からため息が出た。
またかー。
こうやって少しの期待が生まれたと思ったら消えていって、また次の期待に依存する。
いつまでこんなことやってるんだろうと思って、衝動的にアプリを消した。
期待する先も努力するところも間違っていると知っていても、
心は楽をしたがる。
最短距離で孤独や不安から解放されようと必死になってしまう。

ふとここ最近の自分を振り返っていたら、

プツン、
と自分の中で何かが途切れた。


家中のものを放り投げて叩きつけた。
そうしていたら割れ物の破片を踏みつけてしまって、足の裏が切れた。
最初は痛いと思った。
だけどそのうち、これをほったらかしたらどうなるんだろうと思った。
痛みはだんだん気にならなくなって、熱さに変わった。
何かいけない期待をしているとはわかっていたけど、
もうあまり頭を使いたくなかった。

結局血は数分で止まって、傷口の熱もおさまった。


心底ガッカリした。
痛いのも怖いのも嫌だから「そういうこと」はまだしないと決めていた。
だからこそ、自分の意図していないタイミングで「そうなりそう」な事態になって、これはチャンスかもしれないと思った。
だけど体は意外と丈夫で(冷静に考えれば足の裏を切ったくらいでどうなるわけでもないのに、その時の頭はいっぱいいっぱいだった)、
しばらくはジンジンと鈍く痛む足を庇う羽目になった。


あの時の頭の中は、あまりはっきりとは覚えていない。
そのようでいて、実はぼんやりと思い出せる。
僕は考えることそのものが面倒臭くなっていた。
楽しいことを楽しんだり、何かに期待したり、辛い思いをしたり、そこから抜け出すために何をしようか考えたり、行動に移したり。
何かを感じたり考えたりするから、楽しくて嬉しい気持ちと同時に悲しみや怒りが湧いてくる。
そんなことなら僕はもう何も感じたくない、と思った。


以前読んだ伊藤計劃の小説「ハーモニー」のことを思い出した。
全ての意識が統合され、〈わたし〉という概念がなくなる世界。
ちょっと羨ましい。
そりゃあ、自分だから感じられる楽しさや優しさ、思い出が溶けて消えるのは怖い。
だけどそれを無視したくなるくらい、今は辛い気持ちに押しつぶされそうだ。


noteを始めた頃は、ポジティブもネガティブも両方織り交ぜて話ができたらいいなと思っていた。
だけど最近は、あまりポジティブなことを書けない。
心が疲れてきている。

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