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滝に打たれながら私は「気持ちいいな」と感じていた。考えることはなかった。

滝行をしようと思ったのは、思いつきだった。
前回の記事、
九頭龍信仰とは?---水神様---で書いた、九頭龍神社の分社が東京にもあると知り、調べていたら滝行体験もできることを知った。
それで興味を持ち、なんとなく、応募してみたのだ。「滝行」やってみたら、どんな気持ちになるのだろう?

滝行できるのは、東京檜原村の九頭龍の滝。

事前にホームページより、西澤さんという方に連絡し、参加意向を伝えた。

午前10時に、バスタオルとサンダルを持って九頭龍神社に来てと伝えられた。

----当日----

九頭龍神社に着くと、お参りをした。

その後、西澤さんより出欠確認。

参加者は、16人もいた。三人くらいかと思っていたので、びっくりした。

始まる前に、西澤さんのお話があった。
まとめると、こんなことを言っていた。

◼️滝行の流れの説明(衣装や、打たれる時の姿勢、作法など)

◼️みんな、何かしらここに呼ばれて来た。このメンバーであることも、何か意味がある。

◼️滝行とは、滝行は穢れ(けがれ)を清めることが由来。穢れには、気付いている穢れと、気付いていない穢れがある。気付いている穢れは、本人も認識していること。嘘、遅刻、怠惰など。

◼️では、気がつかずに犯す穢れとは何か?
それは、「欲張ること」出世のために人を蹴落としたりすると、その人はどんどん穢れていく。

◼️滝行をすると、みんな顔が変わる。スッキリした顔をして、帰っていく。それだけでいいんです。

九頭龍の滝に着いた。

一回目の滝行が始まる。

滝に打たれるには、岩場を登らないと行けなかった。

「怖い」
滝と、滝にたどり着くまでの水流の強さを見て、そう声に出した。
後から聞いたら、台風の影響でいつもの1.5倍の水量だったそうだ。なんとか、滝までたどり着いた。

思い切って、滝へ飛び込む。

痛い!怖い!冷たい!

必死に三回、声に出す。
「祓え給い、清め給え」

終わった後の滝から出た瞬間、「できた!」という達成感が沸き上がってきた。

一回目の滝行が終わると、二回目が始まるまで10分ほど待たなくてはいけない。

一回目の滝行を終えた女性が、私の近くで岩に足を滑らせて転んだ。なんとなく、転ぶ予感がしていたので、足を受け止めた。
頭を打ったみたいなので、座って休むようにスペースを作った。

二回目の滝行は、岩場の小さめの滝だった。滝というよりも、肩の後ろから強い水流を受けるようなものだ。

「祓え給い、清め給え」を三回繰返した。

三回目の滝行は、60代夫婦の旦那さんとペアを組まされた。この夫婦は、本来の滝までたどり着くことができず、二回とも下の岩場で滝行をしていた。西澤さんは、「サポートしてあげてくれ」と私に告げた。滝にたどり着くまで手を取り、滝に打たれている時は彼が滑らないようにと意識していた。

奥さんも同様に、滝にたどり着くまでに危ないシーンがあった。私はおしりを押し上げ、もう一人の男性が滝まで引っ張りあげた。

西澤さんが、「もう一度滝に打たれたい人ー?」と聞いてきたので、手を挙げた。

四回目の滝に打たれている時、私はただただ「気持ちいいな」と感じていた。考えることなんてなかった。

しばらく、この気持ちいいワクワク感を忘れていたことも思い出した。

滝行は終わった。参加者16名みんなが、スッキリとした顔をしていた。

滝壺に浸かりながら、私の脳裏にはなぜかこの言葉が浮かんだ。

(徳を積もう。それがしばらくは俺の道だ。)

滝行をして得たものは、「ワクワク感」を取り戻せたことと、「徳を積むこと」を意識するようになったことだ。

滝行が終わった後、60代夫婦の奥さんが、私にお礼をしてくれた。

「ありがとうございました。とても私一人ではできませんでした」

誰かに家族以外の人に感謝されるなんて久々だった。

60代の夫婦が、僕に深々とお辞儀をして、帰っていった。

-------終わり-----
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

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