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伝えておきたいブルースのこと50

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2015年にブルース&ソウル・レコーズ増刊号として発行された「伝えておきたいブルースのこと50」をBSR note用に特別公開します
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2023年5月の記事一覧

【伝えておきたいブルースのこと】⑮〝クサい〟ジャズにコロり

ブルースと分かち難いアーリー・ジャズ  ブルースに夢中になり始めた頃に手にした『ブルース・レコード・ガイド・ブック』、そこに佐々木健一氏責任監修による「ジャズ」という章があった。ブルースのガイドになぜジャズが? ルイ・アームストロング、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ビリー・ホリデイなど、ジャズの歴史に必ず出て来るような人もいたが、まったく耳にしたことのない作品が並んでいた。ブルースとジャズがどれほど近くにあるのかまったく知らずにいたため、驚くとともに、そこで紹介

【伝えておきたいブルースのこと】⑭ブルース、街へ出る

洗練されたシティ・ブルース メディシン・ショーや放浪のミュージシャンたちによってブルースが南部の各地に広まっていった一方で、都市では独自のブルースが生まれていた。  カントリー・ブルースに対する「シティ・ブルース」(都市の/街のブルース)という言葉がある。南部の農村地帯で主にその地の人々を楽しませるために演奏していたミュージシャン/ブルースマンたちの作品は、いわばその地域特産のブルースといったもので、他地域のスタイルとは異なることが多かった。シティ・ブルースは、より定型化

【伝えておきたいブルースのこと】⑬黒猫の骨とウサギの足

アメリカ南部の土着フォークロア  ブルースの常套句として数々の曲に使われてきた一節だ。マディ・ウォーターズ〈ガット・マイ・モージョ・ワーキン〉、ライトニン・ホプキンス〈モージョ・ハンド〉、J・B・ルノアー〈モージョ・ブギ〉など、「モージョ」を歌った曲は多い。 「モージョ」とはアメリカ南部黒人の間で広まった民間伝承(フォークロア)の「フードゥ hoodoo」で用いられるまじない道具。ブルースの歌詞の中では、主に異性を惹き付けておくための道具として登場する。なおモージョを入れ

【伝えておきたいブルースのこと】⑫ブルースは借り物でなく

米国南部の白黒音楽交流  「アメリカ黒人の心の叫び」といったブルースのイメージは現在でも一般的なのだろうか。ブルースは彼らアメリカ黒人の心情が色濃く出た音楽であるのは間違いないが、「黒人だけのもの」と考えるのは注意が必要だ。  法律に基づく人種分離が行なわれていたとはいえ、音楽においては黒人と白人の交流はかなり濃密に行なわれていた。そのひとつの例が、1920〜30年代にミシシッピで最も人気が高かったといわれるストリング・バンド、ミシシッピ・シークスに見られる。  ミシシ

【伝えておきたいブルースのこと】⑪聖なる歌と悪魔の音楽

ブルースのすぐ隣にあるキリスト教  「ブルースは悪魔の音楽」という言葉を聞いたことがある人もいるだろう。敬虔なキリスト教徒の中には、ブルースを歌うことは汚らわしいと考える人がいたのも確かだ。だが、チャーリー・パットン、ブラインド・レモン・ジェファスン他、ブルースで名を成したミュージシャンでキリスト教の宗教歌も録音している者は多い。  黒人キリスト教徒たちが歌った宗教歌、「ニグロ・スピリチュアルズ(黒人霊歌)」は19世紀半ばから白人たちに注目されてきた。黒人のための大学とし

【伝えておきたいブルースのこと】⑩漂う歌詞をつかまえて

ブルースの歌詞を読み解く  辞書で「blues」を引くと「気分がふさいだ」「憂鬱な」とあり、ブルースという音楽もそうした気分を歌っていることが多いが、けっしてそれだけではない。悲しむだけでなく、悲しいから笑ってしまおうという態度を取ることもあれば、ふさいだ気分を解き放つために行動を起こすこともある。また、歌詞には感情とともに社会状況や土着の文化も映り込んでいて、ブルースを必要としたアメリカ黒人の生きる世界を理解するのにもたいへん役立つ。  監獄について歌われたブルースから

【伝えておきたいブルースのこと】⑨ブルース整理術

スタイルや地域で捉えるブルースの多彩さ 1920年から始まったブルースのレコーディングは、1929年10月のウォール街の株大暴落にともなう世界恐慌までは順調だった。録音機材の進化により、機材を南部に持ち込む「出張録音」も行なわれるようになったことで、各地のミュージシャンの録音が可能となった。 この時代のブルース・レコードを整理するのによく用いられるのが、地域ごとの分類である。「ミシシッピ・デルタ・ブルース」「メンフィス・ブルース」「ジョージア・ブルース」「テキサス・ブルー

【伝えておきたいブルースのこと】⑧初のギター・ヒーロー登場

ブラインド・レモンとブラインド・ブレイク  二人のブルース・ギターの達人、ブラインド・レモン・ジェファスンとブラインド・ブレイク。ともにレコード上における、男性ブルース・ギタリストの草分け的存在となる。両者ともに歴史的に大きな役割を果たしたが、そのミュージシャン体質は異なっていたようだ。  ブラインド・ブレイクの生年は1896年、出身はヴァージニア州ニューポート・ニューズ。レコーディング以前の活動は何も記録に残っていないが、録音された曲にはミンストレル・ソングもあるので、

【伝えておきたいブルースのこと】⑦溝の中のスミスさん

女性が放った初のブルース・ヒット・レコード  カウント・ベイシー楽団などで活躍したシンガー、ジミー・ラッシングの1961年発表のアルバムに『ザ・スミス・ガールズ』がある(Columbia CL 1605)。スミスのお嬢さんたちとは、ベッシー・スミス、メイミー・スミス、クララ・スミス、トリクシー・スミスのこと。1920年代から30年代にかけてレコーディングを残した女性ブルース・シンガーたちだ。姉妹や親戚ではなく、たまたまスミス姓が揃ったのだが、ブルースのレコーディング史の最初

【伝えておきたいブルースのこと】⑥紙の上のブルース

W・C・ハンディとブルースの広まり  「ブルースの父」と呼ばれるほど評価を得ているW・C・ハンディ(ウィリアム・クリストファー・ハンディ)だが、彼自身のバンドの演奏を聴いたことがある人はどのくらいいるのだろうか。  1903年、ミシシッピ州タトワイラーの駅でハンディは年老いた黒人がギターを膝の上に乗せ、弦の上にナイフを滑らせながら歌っていたのを記憶している。  ブルースが南部の農村地帯で徐々に形作られていった時期で、ブルースと思われる音楽が記録されたものとしては最初期の

【伝えておきたいブルースのこと】⑤母なる大地ミシシッピ・デルタ

ブルース生誕の有力地  ミシシッピ・デルタ。そこはミシシッピ河の流域にある肥沃な大地だ。綿花畑が延々と広がり、多くの黒人たちが労働力として注ぎ込まれた地である。そこはブルース生誕の最有力地でもある。  いつ、どこで、誰の手によってブルースが生まれたのかは定めようがない。けれど、ブルースがある一定の形へと収束していった時期と場所、そして大きく貢献したと思われる人物は分かっている。  ミシシッピ・デルタのほぼ中央にあるドッケリー・プランテーション。黒人のシェアクロッパー(物

【伝えておきたいブルースのこと】④ブルース第一世代

舞台はあやしい薬売りのショー  20世紀の初頭にプロとして演奏活動をしていたミュージシャンの話の中にひんぱんに登場する言葉がある。「メディシン・ショー(Medicine Show)」だ。それは薬を売るための見せ物で、基本的に見るだけなら無料だった。南北戦争の後、薬の販売に関する規制もまだ緩やかだった時期に増加し、それゆえに「薬」といえど効能があやしいものもあったという。  出演するのはプロのミュージシャン。ラジオもテレビも登場する前で、レコードの普及もまだの頃だから、アメ

【伝えておきたいブルースのこと】③ラグタイム大流行

ヨーロッパとアメリカが出会ったダンス・ミュージック  まだ子どものころ、テレビの洋画劇場で放映された映画『スティング』から聞えてきたノスタルジックなピアノの響きを心地よく感じたのを覚えている。1973年度第46回アカデミー賞で6部門を受賞した本作は、「ラグタイムの王様」スコット・ジョプリンの作品をサウンドトラックに用い、アカデミー賞「ミュージカル映画音楽賞」を受賞している。  ラグタイムは1897年から1917年までが全盛期とされ、ヨーロッパの音楽と黒人のリズムが融合した

【伝えておきたいブルースのこと】②ジム・クロウ・ブルース

ブルースの生まれた時代  ここで登場する「ジム・クロウ(Jim Crow)」とは、奴隷解放後に続々と成立した人種差別法の総称で、ジム・クロウ法と言われるものだ。そもそもはジム・クロウと名の付く、身体の不自由な黒人のことを歌った曲があった。白人が顔を黒く塗り歌や踊りを披露する演芸、いわゆる「ミンストレル・ショー」での演目としても知られていた。その動きの滑稽さを笑いものにしたのである。そこからジム・クロウは黒人の蔑称にもなった。  1865年に奴隷解放宣言がなされる。黒人奴隷