【伝えておきたいブルースのこと】⑪聖なる歌と悪魔の音楽
ブルースのすぐ隣にあるキリスト教
「ブルースは悪魔の音楽」という言葉を聞いたことがある人もいるだろう。敬虔なキリスト教徒の中には、ブルースを歌うことは汚らわしいと考える人がいたのも確かだ。だが、チャーリー・パットン、ブラインド・レモン・ジェファスン他、ブルースで名を成したミュージシャンでキリスト教の宗教歌も録音している者は多い。
黒人キリスト教徒たちが歌った宗教歌、「ニグロ・スピリチュアルズ(黒人霊歌)」は19世紀半ばから白人たちに注目されてきた。黒人のための大学として創設されたフィスク大学の資金を集めるため、1871年には黒人霊歌を歌うフィスク・ジュビリー・シンガーズがツアーを行なっている。
デルタ・ブルースマン、サン・ハウスは元説教師で、彼の歌には1920年代にたいへんな人気を博した説教師J・M・ゲイツ師の影響が見て取れる。サンは1930年の〈プリーチン・ザ・ブルース〉の中で宗教とブルースの間で揺れ動く気持ちを歌った。
盲目のギター伝道師、ブラインド・ウィリー・ジョンスンはそのスライド・ギターとザラついた歌声で、通りを歩く人々を惹き付けていた。ジョンスンはブラインド・ウィリー・マクテルと行動をともにしていた時期がある。マクテルはブルースもスピリチュアルズも歌ったが、ジョンスンには世俗の歌の録音はない。一方、同じ盲目のギター伝道師、ブラインド・ジョー・タガートはブラインド・パーシー&ヒズ・ブラインド・バンド名義でブルースも録音している。
牧師の息子として生まれたトーマス・A・ドーシーは、ジョージア・トムの名で数々の世俗ヒットを出した。タンパ・レッドとの〈イッツ・タイト・ライク・ザット〉(1928年)は中でも有名だ。その後宗教歌の作曲に専念、〈プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド〉などを生み出し、最も偉大なゴスペル・ソングライターとなった。1920〜30年代にブルースを吹込んでいたロバート・ウィルキンスとルーブ・レイシーは後に牧師となり、二度とブルースを歌うことはなかった。
このようにブルースと宗教歌の間を行き来した人の例はいくつもある。確かなことはアメリカ南部に住むほとんどの黒人にとってキリスト教と教会は生活の中で大きな存在であったこと。ブルースの歌詞にも、キリスト教の教えが見えるものもあり、両者は切っても切れない関係にあると言える。
文:濱田廣也
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