【伝えておきたいブルースのこと】⑭ブルース、街へ出る
洗練されたシティ・ブルース
メディシン・ショーや放浪のミュージシャンたちによってブルースが南部の各地に広まっていった一方で、都市では独自のブルースが生まれていた。
カントリー・ブルースに対する「シティ・ブルース」(都市の/街のブルース)という言葉がある。南部の農村地帯で主にその地の人々を楽しませるために演奏していたミュージシャン/ブルースマンたちの作品は、いわばその地域特産のブルースといったもので、他地域のスタイルとは異なることが多かった。シティ・ブルースは、より定型化したブルースで、地域による違いは薄まっている。各地域から街へと集まってきたミュージシャンたちが、互いのスタイルをぶつけ合いながら、洗練させていったブルースと言い表すこともできよう。
シティ・ブルースの典型的なアンサンブルとなるのが、ピアノとギターによるコンビだ。その先鞭を付けたのが、リロイ・カーとスクラッパー・ブラックウェルの二人。彼らの登場以前にもピアノとギターによる録音はあったが、カーとブラックウェルが1928年に録音した〈ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルース〉の大ヒットによって、各レコード会社は同じようなピアノ&ギター・コンビの録音を数多く行うようになる。実はカーとブラックウェルのコンビは、レコーディング用の即席コンビであったのだが。
シティ・ブルースのレコードは各地のブルースマンの演奏にも影響を与えた。その代表的な例が、ロバート・ジョンスンだろう。ミシシッピ・デルタのブルースマンたち、サン・ハウス、ウィリー・ブラウンから直接の影響を受けながら、レコードからはリロイ・カー、ロニー・ジョンスンの洗練された演奏を取り入れていた。
ピアノとギターに加え、ドラムスやベース、さらにはハーモニカや管楽器などからなるアンサンブルが、1930年代半ば以降のシティ・ブルースに増えていく。1933年にRCAヴィクターの廉価レーベルとしてスタートした「ブルーバード」は、主にシカゴで活躍するブルースマンたちをこの時期に大量に録音した。タンパ・レッド、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ジョン・リー〝サニー・ボーイ〟ウィリアムスン(通称「サニー・ボーイ一世」)、ジャズ・ギラム、ウォッシュボード・サムが代表的なブルースマンとなる。
多くの作品で同じバック・ミュージシャンが使われたこともあり、研究家のサム・チャーターズによって「ブルーバード・ビート」とも名付けられたそのサウンドは、1950年代にマディ・ウォーターズらによって花開くシカゴのバンド・サウンドのひな形となるものだった。
定型化によって失われたものもあったが、シティ・ブルースの登場は、農村から都市への移住者が増加した時期に起きた、黒人社会の変化の表れであり、必然でもあった。
文:濱田廣也
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