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【第14話】【最終回】網膜剥離闘病記 ~網膜剥離になりやすい人の特徴。手術は滅茶苦茶痛い!?~


術後の検査、そして左目も処置、闘病の終焉

レーザー地獄から解放か!?

 2月15日。この時期からは週1回の通院サイクルになって、診察の他、精密眼底検査や矯正視力の検査(メガネでどれだけ視力が出るか)、眼底カメラ撮影、眼圧測定を毎回セットで行っていく。
 右目の視力は、元々裸眼だと0.1もないのがさらに悪くなっていて、バックルによって眼球を変形させているせいか近視、乱視ともに進んでいるようだったが、矯正すると1.2は出るようになっていて、手術前に脅された視力の低下については矯正できないレベルまで下がってしまうことは免れたようだった。これから半年くらいの時間をかけて視力は落ち着いてくるとのことだったので、もう少し視力が戻る可能性はありそうだ。
 レーザー処置は毎回のお約束のような感じになっていたので覚悟をして診察に臨んだが、S先生は「もう大丈夫そうですね」と、この日からはレーザー照射の処置もなくなった。眼内に入っているガスの見え方もだいぶ小さくなり、2月が終わる頃には気にならない程度まで消えていた。術後高くなりがちといわれた眼圧はまだ高いままだったが、点眼しているステロイドの作用かもしれないと、3月1日の診察以降はその目薬を点さないようにすると、3月8日の検査時には正常値まで戻った。

そういえば、まだ目の中に糸が…。

 右目の状態が落ち着いてきたので次の来院は2週間後となり、今度は左目の網膜裂孔の処置をすることになった。レーザーを網膜に照射して凝固する処置なのだけれど一応手術なので、右目の時と同じく手術に際しての同意書にサインをした。診察の最後にS先生が「今日抜糸していきましょうか」と、手術時から右目の角膜を縫合している糸の抜糸をその日することになった。黒目の周りをぐるっと一周縫い付けられた青い糸は、白目の充血が治まってからは目立つようになり、その結び目によってコンタクトレンズにゴミがついてしまった時のようなゴロゴロとした違和感もあったが、慣れてしまうとそれらも気にならなくなっていた。
 数週間角膜を縫合していた糸を抜くので、少し怖くなって、
「抜糸って痛いですか?」
と聞くとS先生は、
「点眼麻酔をしますので痛みはありませんよ」
と言ってくれた。
 看護師さんに点眼麻酔をしてもらい、処置室のベッドに横になってしばらくするとS先生が来て、もう1度点眼麻酔をしながら、「それでは抜糸していきますねー」といつもの軽い口調で言い、抜糸中に目を閉じないように金属の道具でまぶたを固定した。細く尖ったピンセットと小さなハサミを持ったS先生の両手が閉じることを許されない僕の右目に迫ってくる。先端恐怖症の人ならこの状況は地獄だろうなと思ったが、そうではない僕でもだいぶ怖い。
 糸をハサミでチョキンと切っては、それをピンセットで抜く作業(実際に局部は見えていないがおそらくそんな感じだと思う)をぐるっと一周繰り返し、抜糸は体感としては5分ほどで終了した。
 家に帰って鏡を見ると、今まで縫合されていた部分に少し出血の痕があったが、それが糸を抜いた痕なのか、ピンセットが刺さった痕なのかはわからなかった。
 まだあと数回検査での通院はあるが、右目の網膜剥離の治療はこの日でひとまず終わりとなった。

右目の次は左目も治療

 3月29日、右目に続いて左目の網膜裂孔のレーザー手術の為、大学病院へ。
 左目の網膜裂孔の処置は、右目と違って網膜剥離になってしまうことを予防するためのもので、現時点で網膜に開いてしまっている小さな穴(裂け目)の周りをレーザーで焼き固めて、それ以上裂孔が大きくなるのを防ぐ目的で行う処置だ。
 左目同様に点眼麻酔をして行われるが、レーザーの照射レベルによっては目の奥に痛みを伴う。それでも左目の時よりは痛みは少なくて、やっかいな状態ではなかったのだろうと察しがついた。それでも数百発のレーザーを撃たれ、後に写真を見せてもらった僕の網膜は文字通り蜂の巣にされていた。
 処置自体は15分前後で終わり、術後の炎症を抑えるためのブロムフェナクNa点眼薬を処方され、薬局でそれをもらって帰宅したが、点眼麻酔が切れた後はやけどのような鈍痛を目の奥に感じた。

 4月12日、前回の通院から2週間空けて、両目の検査を受ける。特に問題はなく、右目の視力も悪いなりにではあるけれど矯正ができるレベルで落ち着いてきたので、次の受診は1か月後となった。

大学病院での治療の終焉

 5月24日、病院へ行っていつものように諸々の検査をしたあと、S先生の診察室に入った。スリットランプで目を覗き込み、さらに別の器具で僕の目を隈なく見た後S先生は、
「もう大丈夫ですね。ウチでの治療は以上となりますので、今後はかかりつけの眼科で定期的に検査をしてください」
 と言って、もう少ししたら視力の変化が完全に落ち着くことや、それからメガネやコンタクトを買い替えるようにすることなどのアドバイスをして、さらに、右目は今回の手術で再発はしにくい状態にはなっているけれど、左目はあくまで予防措置なので今後網膜剥離になる可能性はあり、右目に起こったような兆候が現れたらすぐに眼科を受診するように指示をした。ここ数か月は通院がライフワークのようになっていたので、もう来なくていいといわれると少し寂しいような気分になった。かといって同じ手術をもう一度受けたいとは全く思わないので、定期検査だけは欠かすまいと心に誓った。
 最後にS先生は、僕が最初に受診し、この病院に紹介状を書いてくれた自宅近くの眼科医宛に、今回の一連の治療の内容と現在の状態を書いた書類を封筒に入れて僕に渡し、だいたい1ヶ月後にこの書類をもってその眼科を受診するように言った。

紹介状を書いてくれた街医者の一言。

 6月下旬、S先生から託された封筒を持って自宅近くの眼科に行き、受付のスタッフにその封筒を渡す。一通りの検査を終えた後、名前を呼ばれて診察室に入ると女の院長先生はその書類を診ながら、
「あらぁ、今回は災難だったわねぇ」
と、蜂に刺されて帰って来た息子の幼馴染に言うような、本当に心配してるのかしていないのかわからない抑揚強めな声のトーンで労ってくれた。これから6か月ごとに定期検査を受診する約束を院長先生として、僕の網膜剥離との闘いは終わりを迎えた。
 眼科の外に出ると、ほぼ真上にある太陽がより近く、眩しく感じた。1月にこの眼科を受診したときはダウンコートを着ていたけれど、もう季節はすっかり夏になり、Tシャツ一枚でも暑く感じた。ただ、太陽がより近く、眩しく感じたのは季節のせいではなくて、まだ効いている検査用散瞳点眼剤のせいだろうと思った。


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