自分探しではなく自分づくり
自分探しではなく自分づくり
表現の仕方は多々あれど、最近こういった意味の言葉によく出会う。
自分探しの旅なんてない
よく「自分探しの旅」なんて言い方がされる。
この記事で使う意味合いは「どこかに物理的に旅をして、自分を探すこと」を意味している。が、いわゆる「自分探し」でも共通項はあると思う。
個人的には旅に自分探しはまったく求めていないが、不思議なことに旅話をする際、時折「自分探しのため」が出てくることがある。
が、旅に「自分探し」の効果はあまりないと思うし、旅をしたところで本当の自分に出会えるかどうかは疑わしいと思う。
なぜなら、
「自分探しをしても答えは見つからない」し、
「本当の自分なんてない」
からだ。
答えのないものを探し続けることは精神的にもツライ。
それに自分探しをしてしまうことって、「今の自分ではダメだ」「今のままでいいのかな?」といった考えから生まれているケースが多いと思う。どちらかというと自己否定から始まっていると思うので、なおさらツライ。
「完璧な人間なんていないし、今のままの自分でいいんじゃない?」と思うと少しは楽になると思う。
アイデンティティの崩壊
実体験で言うと、旅をすると、むしろどんどん自分がわからなくなっていった。
世界一周は20代後半で行ったが、バックパッカー海外一人旅は多感な20歳の時から何度もしていた。
新しい文化・歴史、景色、人の営み、価値観に出会う度に今まで20年かけて形成されてきた価値観がガラガラと崩れ去り、新たな価値観が自分の中に染み込んでいく。
作っては壊され、作っては壊されの繰り返しだった。
これが本当の自分だ!みたいな感覚は一切なく、どんどん生まれ変わっていったと言った方が的確だと思う。
悩んだり、恐怖を感じたりすることもあった。
アイデンティティの崩壊的な、クサく言うと過去の自分は死んだ的な。
「擬似的な死」を体験していたのかもしれない。
でも、なぜかそれが心地よかったりもしたんだよね。
僕は周りから見られてる以上に弱い人間なんだけど、どこか冷静な自分もいて、変わることをワクワク楽しんでいたと思う。
変わり続ける自分で新しい体験を楽しんでいた。
自分づくり
浅はかながらいろいろ経験したが、
自分探しより大事なのは、「自分づくり」だと思う。
自分がなりたい姿を思い描き、意図的にこうなる自分を作る。
自分はこんな人間になると能動的に決める。
そのために必要なアクションを整理し、あとは愚直にそれを遂行する。
自分の理想像の近い人達がいる環境に身を置くことも大事だと思うし、理想像のインプットを繰り返すことも必要だと思う。
一歩一歩目指していくしかない。
それらを積み重ねていくうちに、なりたい自分に近づいていくのだと思う。
と、偉そうに言っているが今僕がなりたい自分になっているかと言ったら嫌になるほどまったく遠い。
さー、また自分自身とがっつり向き合うかー。