空手家として生きるとはどういうことか?
最近4月の派遣法改正やそれに伴った職業関係のドタバタ、そういったものに巻き込まれて、人生で初めて2週間近くちゃんとした稽古は、できていない。
こんなこと初めてだ、前だったら稽古してないだけで焦燥感に襲われていただろう。
しかし今はそうでもない。
むしろ、どこか超然とした感覚に包まれている。
最近自分の中で、革命的な出来事が起こった。
それこそ人格がまるっきり書き換えられたような衝撃的な出来事。間違いなく人生で1番のショック。
私は、何のために稽古をしていたのだろう。
おそらくは、楽しみとは違っていたのかもしれない。
決められていたことだからやる。
週4日以上稽古するのは当たり前。
9時になったから稽古するのが当たり前。
それだと間違いなく自分自身が犠牲になるなと今では思う。
空手が好きで、空手が私の根本を形作っている事は間違いない。
だけど、私が空手そのものと言うことではないと言うのも理解できた。
極論を言う。
空手で食っていくことができない。それが現実だ。だからこそ私の弟も、そのギャップに苦しんでいる。
金がないと生きていけないのだ。
空手とは何だったのだろうか。
もちろん働かなくてよくて、時間にも気持ちにも余裕があったら、1日3時間位の稽古をしたいと当然思っている。
趣味とは違う。
かといって、稼げないから仕事でもない。
なんだ?
わからない。
空手を20年以上もやってきて、このざまとは笑わせてくれる。
私は空手家だ。
同時に小説家でもある。
留学経験があり、うつ病になり、不治の病にもかかった男だ。
全く以てアイデンティティーが多いな(笑
だがやはり最初に来るのは、空手家。
空手によって得たものが多すぎる。
職業でもない、趣味でもない、私そのものでもない。
私にとって空手とは、心か?
何かを考えるとき、判断する時、その武道精神こそが1つの指針となり、そして体を鍛える稽古時間が、その心を育む。
となれば私が私であるために必要なことが、空手ということなのか?
ならば時間や実績にとらわれる必要はないか。
毎日やらなければならないとか、何時間やらなければならないとか、大会で勝てなくなるから、そういった瑣末事にとらわれる必要はないか。
今更ながら、自分がとらわれていたと言うことを実感し、自分の武道精神の未熟さに顔から火が出る思いだ(笑
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