あんたが女の子だったら良かったのに
田口、という人間がいる。
地元の友達。
地元、とは言っても、
同じ街に住んだことはないし、
同じ学校に通ったこともない。
共通の知り合いもいない。
普通に生きていれば、
特に交わることもなかったくらい、
田口と私は、あまり共通点がない存在なのだ。
それでも「友達」って不思議なもので、
出会ってしまうんだ。
なるべくしてなってしまうんだ、「友達」に。
*
田口のことを書く時は、いつも頭を悩ませていた。
あれこれ感情を抱いてるのは自分のくせに、
それを自分のどんな言葉で飾れば、
私自身が納得できるのかわからなかった。
だから何度も書き直して、
何回も田口の投稿をして、
自分で自分をカウンセリングするかのように、
そうやって、この場所を使いながら、
私は、私と田口の関係性、田口に対する私の感情と向き合ってきた。
*
そんな時期がありつつも、
私は27歳になって、
田口と過ごしていた頃とはまるっきり違う生活を送っていて、
もう思い出すこともなかった。
それもそうだ、もう3年も会っていなかったのだから。
*
もうすぐゴールデンウィーク、という頃。
ゴールデンウィークといえば、年に一回田口と会える季節だった。
だけどそれはもう過去の話で、
双子を授かった友達と関わろうなんて、
あまりに倫理観が欠如している気がして、
距離を置いていた。
20代前半で結婚して、子供を作ることを選んだ田口と、
20代後半で結婚して、子供を作らないことを選んだ私が、
もう昔のように無邪気に会話を楽しめる自信が微塵もなかった。
*
去年末だか今年の始まりくらい。
ゆく年くる年の挨拶みたいなもので久しぶりに連絡をした。
そういえばまだ伝えてなかったな…とふと思い出して、
私も結婚したことを打ち明けた。
すごく驚かれた。
そんな大事なことすら伝えないほど疎遠になってたんだっけ。
それでもまた、私はそれ以上の連絡は続けなかった。
田口は優しいから、
私が連絡をすればいつまでも返事をくれるような人だから、
私からまたちゃんと線を引かなきゃって思った。
もう生きてる世界が違う人だから、
いつまでも過去の由縁に引っ張り出させてはいけないと、
そう思った。
*
そうして、ゴールデンウィークの予定を考え始めた頃に至る。
当時の私は、
結婚してから男友達との関係に悩み始めて、
なんだか一人になりたい時間が増えていって、
大好きだった東京の男友達(会社の同僚ども)ともボタンのかけ違いで気まずくなっていってしまって…
はっきり言って、誰か私を受け止めてくれる存在が欲しかった。
仕事の話なんかじゃなくて、
私が本当に好きなものの話を聞いてくれて、
それから相手自身が本当に好きなものの話をしてくれる人。
その「誰か」とは、
情けないことに、今でも田口だった。
やっぱり田口だった。
そういう時のための夫婦じゃないのか?って思われることもわかってる。
だけど非難を恐れないで言うならば、
それは違う。
少なくとも私の中では、絶対に違う。
夫は、他の人が知らない私を知っている。
それと同じように、田口だって他の人が知らない私を知っている。
配偶者と友達を比較するのは、あまりにも寂しい。
それぞれ全く別の魅力がある関係性だから。
だから、友達という関係性を無碍にしないことを私は選んだ。
ここじゃないどこかへ逃げ出したいと苦しみ悶えた夜、
私は深夜に田口へそっと連絡をした。
「会いたい」
私のことをよく知る友達には止められた。
「既婚者同士で2人で会うなんて、お互いの配偶者があまりにも可哀想だ」
って。
その通りだと思った。
たとえ私たちの間に何一つやましいことがなくても、
それでもやはり、私たちの家族はいい気はしないだろう。
そんなことはわかっている。
それでも、どうしようもなく田口に会いたかった。
東京で見失った私を、私の自由を、
思い出させてくれるのは田口しかいないと思った。
別に、会ってどうしようってプランは特になかったけど、
ただ、見失った自分を取り戻してあげたかった。
突然の誘いにも関わらず、
田口は相変わらず快諾で、すぐに予定を確認してくれた。
正直言って望みは薄かった。
生後数年のお子さんが2人もいる環境で、
飲みに出かけられるタイミングなんてないに等しいことはわかっていたから。
結果、私たちがゴールデンウィークに会うことはなかった。
土日休みの私と、シフト制の田口では、
ゴールデンウィークの休みが見事に被らなかった。
「じゃあ夏に!」
ということで会話は終わり、
それ以降はこれまで通り疎遠の日常に戻った。
*
その頃、私は以前から推していたNew Jeansへの推し愛が過去最高に高まっている時期だった。
音楽に造詣の深い友達にNew Jeansを勧めてみたが、
いいねとは言ってくれたものの、
ハマってくれるまでには至らなかった。
昔、そう軽音楽部にいた頃であれば、
新しい音楽の話、最近ハマってる音楽の話をする相手なんていくらでもいたのにな…と少し寂しくなった。
やっぱりもうみんな大人になっちゃったのかな…なんて社会人一年目みたいなことを考えながら、
ふとあの名前が思い浮かんだ。
田口
そうだ、田口ならきっとわかってくれる。
そう思って、ほとんど勢いで連絡してみた。
「田口はNew Jeansの中で何が一番好き?」
田口がNew Jeansを好きかもわからない、
そもそも知ってるかもわからない。
けれど、田口であればきっと昔と同じように、
私が欲しい答えをくれるんだろうという確信があった。
田口からの返事は、一言。
Spotifyのリンクだけだった。
New Jeansの『New Jeans』という曲だった。
あぁ、やっぱり。
わかってるなあ、田口は。
DittoでもOMGでもなく、セルタイ曲を選んでくるとは。
…
そうしてそこから、たまに連絡を取り合うようになった。
K-POP界隈を大騒がせしているHYBEとAdorの事務所問題のこと、
6月に控える東京ドームのチケットの話、
どうしてニュジの曲はこんなにも我々の心を惹きつけるのかということ。
本当に昔と変わらず、
あの頃の私たちのまま、
音楽の話をした。
そうして彼は、ニュジ以外でおすすめのアーティストをいくつか教えてくれた。
この行為が、私にとって何より嬉しいのだ。
私たちのように、
スレて、捻くれてて、音楽や映画や本にたくさん触れてきた者からすると、
「誰かに何かをおすすめする」という行為は滅多にしない。
「この人ならこの作品の良さをわかってくれるだろう」
「この人にはこの自分の感想を理解されたい」
という気持ちがなければ、
自分の心の中の宝物を相手に開示したりしないのだ。
そうして毎日一言ずつ連絡を取るようになった。
それでも、私は以前の調子ではなかった。
自分が着実に大人になっていることを自覚する一方、
田口だって、もうあの頃とは違う、大人になっていることがなんとなくわかったからだ。
あの頃のままのノリで会話を続けたら、
「まだそんなことしてんのか」って呆れられるかな。
幻滅されちゃうかな。
そう思ったら、全然素直に返信できなくて、
彼の顔色を伺いながら当たり障りないことを返すだけのAIチャットくんみたいになってしまった。
そんな自分に嫌気が刺して、
結局私はまた田口と連絡を取ることをやめた。
数日後、珍しく向こうから連絡をしてきた。
「今度のあのフェス、ラインナップ激アツなの知ってたか?」
たった一言、それだけ。
それだけなのに、通知を確認した瞬間から、
なんだかとても嬉しかった。
田口は優しいから、
嫌々私に返信してくれてたんじゃないかって思ってたけど、
田口の頭の中で、
「こいつにこのことを教えてやりたいな」って、
私のことを日々の生活の中で思い出してくれる瞬間があることが、とても嬉しかった。
そのフェスの出演アーティストは、
私のバンド現役時代に比べたら見知らぬ人ばかりになっていたけれど、
それでも田口が「お目当て」だと言うアーティストは、
あの頃と何も変わっていなかった。
結局田口はそのフェスのチケットを取れなかったけれど、
たとえ田口が確保できて行っていたとしても、
私自身がそのフェスに行くことはなかっただろうな。
こんな面白い音楽の話を提供してくれた代わりに、
私からも田口に、
最近気になっている本をおすすめしてみた。
「面白そう」と言ってくれて、
さらには同じような作品内容で田口が読んで面白かった本を紹介してくれた。
…あぁ、なんて心地の良い関係性なんだろう。
もうあの頃みたいに、
朝までお酒を飲み明かして、
眠くなったらどこか適当に泊まって、
朝ごはんを食べてお昼頃に解散するなんて、
きっともう一生できないんだろうな。
「この関係はきっと誰にも理解されない」、
なんてそんなエゴイズムの塊みたいな醜い美談にするつもりはないけれど、
少なくともこの関係性を良くは思わない人がいるだろうということもわかる。
だけど、
私を取り戻してくれるのはやっぱり田口で、
もう昔みたいに純粋に音楽の話ができないなんてのは私の不安からくる幻想で。
別に生きてる街が違ったって、
子供がいたっていなくたって、
私が昔彼の中に見た彼の姿は、
何も変わってなかったんだなあって思った。
本当に思うよ、サイコーの友達だって。
だけどね、あんたが女の子だったら良かったのに。