自分を見失ったクリスマス
こんばんは。
お久しぶりになってしまいました(汗)
この間までまだ暑いな〜、なんて言っていたと思っていたら、もう冬ですね…
街を歩けば、テレビをつければ、何もかもクリスマス一色になるシーズンの幕開けです。
機能不全家庭に育った方には、様々な思いが去来する季節でもあると思います。
それぞれ皆さんに辛い状況があり、辛さや悲しさを思い起こさせる時期ですが、今日は私の今思えばおかしかったよな…と思うことを書いていきます。
ところで皆さんは幼い頃、好きなもの、欲しいものを聞かれて、すぐ答えがでるお子さんでしたか?
私は、本当に長い間、自分の欲しいものが分かりませんでした。
何がほしい?と言われても、何も浮かばず、頭の中が真っ白で答えられないのです。
うーん…わかんない…。
そう答えるので精一杯でした。
クリスマスや誕生日、プレゼントに何が欲しいか聞かれるたびに、本当に困っていました。
こうなるより前には自分の欲しいものが、分かっていたはずなのです。
しかし、いつの頃からか何も答えられなくなってしまいました。
私の両親は私の選択に対して批評する人たちでした。あれ可愛い、これが欲しい、と話すものが、自分たちにとって価値を感じられない時、
そんなのやめておきなさい。
もっと自分たちが良いものを選んであげるから。
そう言われて、私の想いは殺されてきました。
その度、私は自分の気持ちではなく、両親の正解を探すようになっていきました。
これが欲しいって言ったら、ママは嫌な顔をするかな…
あれが欲しいって言ったら、パパにセンスがないって言われるかな…
一体いくら位の、どんなものをお願いしたらパパもママも喜んでくれるんだろう…
そんなことばかり考えているうちに、私は自分の気持ちや思いを拾えなくなっていきました。
どこにあるのかも、どうしたら見つけられるのかもわからず、本当に苦しかったです。
いつも、これは本当の自分じゃない
本当の自分って何?
私は本当はどう思っているの?
何がしたいの?
すべて分からなくなりました。
そしてその状態の私と仲良くしてくれている友達や、私のことを好いてくれた人たちに対して、疑念を抱くようになりました。
本当に私のこと知ったら仲良くしてくれないだろうな
私のこと本当に知らないくせに、私のことを好きだなんて気持ち悪い
そんなことを心のどこかで思っていました。
誰のことも信じられないし、自分のことはもっと信じられない。
本当に苦しかった。
それから数十年。
ようやく自分の欲しいもの、好きなものを人からの反応に怖がることなく、言えるようになってきました。
そして欲しいものを欲しい、と好きなものを好きだ、と言える喜び、幸せを感じる自分に気づきました。
まだまだ完全に克服したわけではありませんが、日々進んだり、後退したりしながら、ゆっくりと自分を見つけていきたいと思います。
つながってくださる皆さんにいつも勇気をいただいています。ありがとうございます(^^)