時にはシネフィルな夜「キャプテン・アメリカ シビル・ウォー」
劇場公開作品「シビル・ウォー」前哨戦と名付けた個人的な事前に予習すべき作品の第2弾として鑑賞。
アメリカにおいて、本来「内戦」を意味する「シビル・ウォー」という言葉は頭に定冠詞「THE」を付けると、歴史上の「南北戦争」を指すらしいです。
アメリカ合衆国と、そこから離脱したアメリカ連合国との明治維新の頃に起きた戦い。
大きな争点は、奴隷制度継続の可否と自由貿易か保護貿易かの2つの論点の国政における選択。工業の北部と奴隷制下の綿花栽培など農業が主体の南部という状況で、国としてはどちらが国政の主導権を取るのですか? という、要は内輪もめです。
ちなみに、この南北戦争は、アメリカが過去これまでに関わったあらゆる戦争の中で最も戦死などの犠牲者数が多いらしく、それだけ自国内に禍根やトラウマを残していると言えるのかもしれません。
まあ、そんな単語をわざわざサブタイトルに付けるなんて何を考えているのかと思って本作を観ると、豈図らんやアベンジャーズの面々が2派に分かれて内輪もめを始めるという図式ですよ。
連載当時の原作コミックでは、太平洋の戦地でオレたちの祖父や曽祖父だったかもしれない日本兵士をさんざっぱらぶっ殺してきた星条旗コスプレ野郎のキャプテン・アメリカに、元来オレはあまり素直に肩入れできないのですが、マーベル映画としての第2弾の「ウィンターソルジャー」は、押井守も言及していたこともあり、とても興味深く観ていました。
そこからの流れでの本作。暗い。暗すぎるし、政治問題化しすぎでしょう? オレは好きだけどね。
正義側とは、その武力行使に伴う犠牲が許容され、その結果に対して裁かれもせず全面的に許されるべき存在なのか?
その強大なパワーは国連の管理下に置くべきか?
すでに日本では昭和の円谷作品や石ノ森、永井豪作品で問われていた善悪の逆転や相克といったヒーロー側のアイデンティティ・クライシスを、アメリカは80年代以降のリブートコミカライズで初めて経験することになり、近年になりやっとそれが実写化されるようになったのが昨今の状況なのだと、オレは理解しています。
ティム・バートンやサム・ライミの再定義からノーランへと展開され、今に至ると。
そういう意味からも結果的に「シビル・ウォー」とは意味深なタイトルになりましたね。
本作を観て、そこのどこに何のメタファーを感じるかは、まさに人それぞれ。
今のアメリカの分断を思うのか、それとも中東を取り巻く状況か?
ひとつだけ言えることがあるとするなら、常に虚構は現実を先取りします。時にはまるで預言のように。
少なくともオレはそう思っています。
「見終わった人間に、作中の描写や設定について考えさせたら勝ち」と過去に某アニメ総監督も言ったとか…。
https://marvel.disney.co.jp/movie/civilwar
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