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【書評】些細な地獄の連続の果て「持続可能な魂の利用」
この小説は、「おじさん」から少女たちが見えなくなった世界を描いているように取り上げられることが多いけれど、そこが物語のスタートではない。
少女たちが見えなくなる前の世界でどんなことが起こっていたかを子細に描き、それがやがて革命に結びついて、進化した少女たちにたどり着く様子が語られている。
どうして少女が見えなくなったかの論理的な説明はないものの、少女たちが見えなくなる前の世界がどんなに女性にとって些細な地獄の連続だったかを読んでいけば、「なぜ少女たちは見えなくなったのか」は理解できるだろう。
だけど、その世界は私たちの今生きている世界でもある。
つまりこの本には、女性が日常で出会う様々な地獄が語られていて、私はそこの部分が一番心に残った。
この小説にはセクハラ被害で会社を辞め女性アイドル(読めば誰でもモデルがわかりそうな)に革命の希望を抱いた敬子、その元同僚で親しい存在の香川恵、同じ職場で元アイドルの宇崎真奈、敬子の妹の美穂子などさまざまな女性が登場し、そこにもう見えなくなった存在になっている少女たちが過去の、つまり私たちの生きている世界を授業で研究しているパートがところどころにはさまれていく。
物語しては革命を目指す話といえるが、この小説の魅力は女性の日常のなかにある、ありふれていながらも確実に私たちを蝕んでいくミソジニーや性被害を丁寧にすくいあげていることだ。まるで『82年生まれ、キムジヨン』の日本版だ。だからこそ、多くの人が読んで、語っているのだと思う。
少女たちの姿がおじさんに見えなくなったことで「見られること」から解放されたこと、そうするとセーラー服も体操着も「別の意味」が消えてただの必要な布地となったこと、会社で働く女性がセクハラを訴えても結局は自分が辞めさせられる空気、独り暮らしの女性は危険に身をさらしているから男性に守ってもらうべきだとされるが、被害遭わずに生きてきなにが「危険」なのかわからない男に守ってもらえることなどできないということ。
一番印象的だったのは、十七歳まで四年間アイドルをしていた宇崎真奈のエピソードだ。当時のブログのコメント欄から、四十代の男が主人公の自分との「恋物語」を見つけてしまう。四十代の男、おそらく主人公と同じようなファンである作者は、なんの疑問も屈託もなく、自分が十代のアイドルの心を救い、相思相愛になり、愛に満ちた初体験を子細に描き、それが本人を傷つけるとは思いもしない。これが原因になり、宇崎真奈はアイドルをやめ、今も自分の体を隠すような服を着ている。
小説の中に出てくるエピソードとしては、うっとなるくらいパンチが効いているが、実際にはこれと同じことがどこででも行われている。
いくらキラキラしている、ダンスや歌を磨いている、プロ意識がある、とコーティングしても、システムは同じなのだ。
一方、この小説では革命を率いるのも女性アイドルとなっている。
作中では「××」として表されてているが、大人たちへの反抗を歌った変わり種のアイドルグループということですぐにモデルが誰かはわかるようになっている。私自身はアイドルに全く思い入れがないので、いくらその大人が書いた反抗的な歌詞を歌っていようが、ここまでアイドルを持ち上げることにいまいち納得できなかったので、細部にばかり目が行くのかもしれない。
もうひとつ印象に残っているのは、冒頭でカナダから帰国してきた敬子が日本の女子の頼りなく、華奢で、髪も仕草も内側に縮めようとしている姿を「最弱」と評したところだ。
そう、日本の女子は世界最弱に見える。
ずっと疑問だったのだが、TikTokを眺めていると、海外から流れてくる動画はそうでもないのに、日本の女の子の動画はかわいい子が色々な表情をしてみせたり、ダンスとも言えないようなひょこひょことした動きを延々としているのが多い。それが人気だということは、求められているというだ。
たぶん、日本の女子は世界最弱なのだというより、最弱に見せているのだと思う。
気が付いた女子から変わっていっている。
これでは日本の女の子が負けてしまう
私、日本に帰ったら、「おじさん」を倒す。