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時空を超えて‥‥小説(世流寝狐1)


連載
                

       プロローグ
 
 
 いまだ雪が残っている朝、一人の老女は転ばないようにゆっくり歩いていた。すでに六十を過ぎたこの老女は、白内障により両目を患い、右目を北九州の小倉で、左目を昨年越して来た熊本のベッドタウン、大津町の病院で手術を受けていた。それはこぢんまりとした建物ではあったものの、この地方では眼病の治療にかなりの評価を得ており、他にも同種の病院が十数軒点在する中、特にこの病院は町の者たちから注目を集めていた。老女の目は、既に手術とともに完治し、曇った視界は再び光を取り戻していたが、失明寸前の状態が長く続いていたため、今でも何となく一人で歩くのが不安な気持ちだった。名は、キネ子という。
 女がこの地に移り住んだ目的は、目の手術のためではなかった。雪を見たさにこの山間の地、大津へ越して来たのである。もちろん北九州の小倉でも雪は降り、積もることは積もるのだが、阿蘇山の麓ともなると雪の積もり方に雲泥の差がある。この雪の上を歩くのを日課とし、この時だけは魂が真白い世界に吸い込まれてゆくような気分になれた。すべてを覆いつくす雪を見るのは、女にとって神に祈ることと同じことだったのだ。日中は陽の照り返しが目に良くないと言うことで、こうして朝早く散歩をするのである。
 このところ休みなく降り続いた雪も、今日はめずらしく止んでいた。女はふと目をとめる。左手に流れる川に直角にかかる橋から、行く手の方向にかけて、足跡が続いていたのである。それも二組。一つは何の変哲もない人間の足跡だった。しかし、もう一方の足跡に女は不思議な感じを抱いた。それはまさしく動物の足跡であった。普通我々が散歩に連れる犬ではない、もっと小さい足跡だった。猫……? 女は何となくそんな気がしたのだった。この冷たい雪の上を猫を連れて歩く人がいるのかと、しばらくは妙な気分にとらわれていた。昭和六十二年一月十八日の事である。


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秋下 左内(あきもと さない)
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