泣くな、強くなれ・・・
今回は、前回書いたnoteの最後に出てきた子についての話を綴っていこうと思う。この文章は、私とある女子生徒にスポットを当てたものなので、周りで関係してくれた方々が様々な手を尽くしてくれたことについては、割愛している。それぞれが、それぞれの立場で彼女の生きづらさに関わっていた。
その子は、いつも言われていた。「家族は変えられない。泣くな。お前が強くなれ。」まだ中学生の彼女にとってそれはとても難しいことだった。
「どうして私は生まれてきたんだろう。」「どうしてこんなに辛いのに、我慢しろと言われるんだろう。」彼女が泣くたびに私はそばにいて話を聞くことしかできなかった。「高校行ってバイトすれば、自分の自由ができる。力をつけて18で家を出たらいい。」そんな何年も先の未来に思いを馳せる気力など彼女には残ってなかった。「今の状況になるまでの何年もの辛さを想像してみてください。もう限界なんです。」という私の声も聞き入れてもらえない中、月日だけがどんどん過ぎていった。
何度も家を飛び出し、また元の生活に戻ることを繰り返してはいた。なかなか環境は整わなかった。それでも、何とか頑張ろうとする彼女は、自分の人生に希望を持とうとしていたんだと思う。ある日「家族と仲直りした。もう大丈夫だから、心配しないで。いつもありがとう。」という連絡が入った。「そうなの。よかったね。」と言いながら、違和感を感じた私は、「今、どこにいるの?何があった?」と言葉にした。それは、別れの言葉に聞こえたからだ。彼女は電車に乗ってどこかにいこうと決意していたのだった。途中で落合い話をしたが、人が変わったように暴れる彼女は、私の手をすり抜けて行ってしまった。私は自分の力不足を痛感した。
幸いなことに協力者の方のおかげもあって、無事に保護されしばらく遠くで暮らすことになった。大騒ぎを起こした次の日にきたメッセージには、「私、一時保護所に行くみたい。」と書かれていた。何もなかったように、他人の話のようにメッセージをしてくる彼女は、やはりただの中学生だった。強くなんかなれない。将来に希望を持って真っ直ぐ進んでいくにはあまりにも頼りない存在なんだ。そんなことを感じた。
その後、帰ってきた彼女は、学校ではなく適応指導教室に通っていた。そして、前回のnoteに書いたように私が異動になる離別式に約5ヶ月ぶりに制服を着て学校に登校した。抱きついて泣く彼女の心は何も話さなくても、充分に伝わってきた。
「何があっても、どこにいても、私は差し出した手を引っ込めない。」そんなことを話したことがあった。ただのきれいごとのようにも聞こえるかもしれない。もしかしたら、自分に言い聞かせていたのかもしれない。彼女は何度も手を離したけど、また繋いでくる。「ありがとう。ごめんね。」と言いながら。私は、「生きていてくれてありがとう。」という気持ちでまた、手を握り返している。そばで見守ることはできなくなったけど、心はいつも側にある。そんな関係でこれからも付き合っていこうと思っている。