議論のある家っていいなと思った話
この間、この本を読みました。
国籍、人種、宗教、性別・・・。人と人の「違い」からうまれる差別や格差。
この本は、著者の息子(中学生かな)が日常で出合うさまざまな問題に、日々考え、もがきながら向き合っていく姿を母親の目線で綴ったものです。
身近にあふれるリアルな社会問題についてふれる中で、自分ならどうするか、どう思うかを深く考えるきっかけをくれる内容でした。
なかでも私がこの本を読んで最も心に残っているのは、著者の子どもとの接する姿勢。
著書の中では日常のできごとについて議論するシーンが度々登場します。
例えば⬇︎
学校で息子の同級生2人が口げんかをして生徒指導室に連れて行かれたことを、息子が帰宅して母親に話しているシーン。
これは一つの例なのですが、こんな感じで、著者はいつだって息子の意見に誠意を持って向き合っているのが伝わってくるんです。
ただ親の考えを押し付けるのではない。息子の視点には入っていない社会事情や別の視点があることを"教える"というか、気づかせるように伝えていく姿が印象的でした。
ふと考えるんですよね。
息子がいつかこういう風に話してくれる年頃になったら、私はその時どう答えるだろう・・・。
(・・・答えられないかもしれない。)
日常的にニュースは見ているけれど、多分私はただ受け身で聞いているだけで、よっぽどなことがない限り、その時抱いた感情や疑問を深掘りして考えたり誰かと話すということはない。
このままではまずいな、と気づかせてもらえました。
内容はどうであれ、親子で常日頃からこういう会話を積極的にしている家庭っていいですよね(家族じゃなくても友達でも知り合いでもいいのですが)。
そうそう、この本を読んで思い出したのだけど、うちの義実家は割と議論の多い家なんです。著者の家庭とはまたタイプが違うのですが。
特に夫と義父。
政治のこと、戦争のこと、甲子園のことなど、テレビに映るニュースを見ては、ああだこうだとお互いの意見を言い合う。側から見るとケンカしているの?とびっくりしてしまうほど激しいこともあるります。でも、当の本人たちにしてみれば、ケンカなんかではなくただの議論、“意見を述べているだけ“なのだそう。
例えば、夏の甲子園のニュースを見て、
・・・かなり雑ですがこんな感じの会話をしていました(私は野球に詳しくないのでよく分からず)。特にここで議論したとて何か変わるわけではないのですが、それがまた楽しそうに意見を述べ合うんですよね。
まあでも、だいたいお酒が入っているのでかなりヒートアップして、最後は義母が止めに入るという構図です(笑)。
話は少しそれますが、夫は、ありふれたできごとやニュースに対しても、知識を交えてさらさらと自分の考えをしゃべることができるんです。私はそれがうらやましいんですよね。
私なんて、「〇〇についてどう思う?」と聞かれると、とっさにサラサラと答えられないことも正直あります。恥ずかしながら社会の知らないことも多くあるから、パッと意見を述べられずに悔しい思いをしたこともあります。
これができる人というのはきっと、『人は考えが違っていて当たり前』を体感しているからじゃないかな、と思います。
だから自分だけ周りと意見が違うとしても、自信を持って「私はこう思う」と主張することができるし、「違う」ことを受け入れている。違うからと言って、どうってことはないんですよね。
普段から議論がある家は、自分の意見を話すことにも慣れるし、他人と意見が違うことにも慣れるんじゃないかなと思います。
家での団らんを大切にするのはもちろんだけど、たまには真面目な話題を議論してみるというのもいいですよね。
今日はなんだか、ぐらんぐらんな書き方になってしまった、、、。最後まで読んでくれて、ありがとうございました!