手のひらの信号〜ショートショート|#ツナグ物語
正規雇用でなかったある職場で、私の仕事ぶりを買ってくれる上司がいた。
彼は、パートの事務方の女性たちを束ねる仕事も兼務していた。
「〇〇さん、今度電話応対の研修をするんだけど、講師をしてみてくれない?」
とある日彼から打診された。
講習をする対象が、同じパートの女性たちだったので、そこで講師をするのは正直気が引けた。前職がマナーに厳しかったため、周りより少し目立っていたとしても。
「外部に頼むより、良いかと思ってね」
と彼は言った。経費削減の流れなのだろう。結局迷いつつ、別室で講師をするのを引き受けた。
講習が終わって、フィードバックのための感想のアンケート用紙をまとめて、上司に渡した。
上司は読み終えて、満足げな表情を浮かべつつ、眼鏡越しに、
「お疲れさま」
と私に微笑みかけた。
そんな経緯などがあり、時々怒りっぽい面があるけれども、仕事の出来る上司にだんだんと強く惹かれていった。
日を追うごとに好意が高まってどうしようもなくなり、デスクの隣りに座るだけで、鼓動が速くなって呼吸しづらくなるほどだった。
(―――これは、不味いわ・・・)
上司が40代後半の既婚者であるのは分かっていた。自分も既婚者であった。
それでも、出来ることなら彼の手に触れてみたかった。電気のような何かを発しそうな気がしたのだ。
年の暮れ頃だったと記憶している。他部署の正規の社員と、親しげに話している上司の様子を見ながら、古株のパートの女性がつぶやいた。
「宗像《むなかた》さん、女性に弱いから、怪しくなって前に奥さんと揉めたんだよね・・・」
その言葉を聞いたとき、一瞬にして彼への好意が醒めていくのを覚えた。
【女性に弱い】男性・・・
―――彼の笑顔、
彼の指示の出し方、
彼の冗談を言う姿・・・
心奪われた何もかもの「答え」。
そういう男性は、きっと女性を惹きつける魔力があるのだろう。
危なかった、と正直思った。自分のような好意を持ちやすい人間は、とくに・・・。
時が過ぎ、上司は別のフロアの部署に異動になった。
そして私は、職場を退職することになった。転居に伴うものだ。
挨拶まわりをしたとき。【元】上司は、また眼鏡越しに親しげに笑いかけて、
「辞めるんだね。残念だなぁ。
・・・お疲れさま」
そう言って、おもむろに右手を差し出した。
私は、その手のひらをじっと見つめてから、握手をした。
彼は、しっかりと握り返してくれた。
―――もう・・・
鼓動は、速くならなかった。
生きかたを繋ぐ140文字の想い様
ハートウォーミングではない拙作ですが、ご査収よろしくお願いいたします。
▶Que Song
マンハッタン・キス/竹内まりや
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🌟Iam a little noter.🌟
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