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ちょっとドギツい、なのに軽やかなイスラエル短編小説集『首相が撃たれた日に』ウズィ・ヴァイル

ありそうでなかった?イスラエル短編小説集『首相が撃たれた日に』はこんな本

 
 イスラエル、地中海に位置して、レバノンやエジプトの隣国。第二次世界大戦後に建国された国。常にキリスト教とイスラム教間での揉め事の中心地な国、そんなイメージのイスラエルの小説、音楽、映画って実は驚くほど私は知らない。
 何かとややこしいイメージが先行しがちな国の短編集が、しかも本邦初公開で河出書房新社から刊行された。ウズィ・ヴァイルの『首相が撃たれた日に』である。
 これ書いて不謹慎と言われないの?と心配になるほど際どい話あり、笑いあり、多民族国家ゆえの繊細な問題あり、かと思えばSFありと、短くて面白い話てんこ盛り。
 イスラエルを巡る政治情勢とか、難しい現実をちょっと忘れて気楽に読んで欲しい一冊だ。面白いから。

 表題作はとあるイスラエルの若者が、首相が撃たれた日の自分の行動を淡々と振り返る、ある意味青春もの。
 日本人的な感覚だと、首相が撃たれたってことでパニックというか、厭世観というか、世の中が終わりだみたいになるところ。ところがこ主人公全くそんな気配がない。
 首相が撃たれたことよりも、退役後のなかなか噛み合わない、自分と社会の齟齬をどう埋めるかという苦悩が語られる。気だるそうに、でも漠然と社会にまた戻れるかのか不安そうなのが印象に残る。
 こんな感じで日本とはちょっと違うぞ?という表題作から、次々登場する面白い話の数々に一気読みになってしまう、結構ヤバい本である。

兵役があるお国事情

 イスラエルって男女ともに兵役があるんだと、この本読んで知りました。当たり前だけど、兵役の経験はやっぱり大きな影響を与えるんだなという『なあ、行かないでくれ』や『で、あんたは死ね』という話がある。
 日本では仮に自衛隊に在籍していたとしても、除隊後の話なんてあまり小説のテーマにしない気がする。それだけ、武装して戦うことに縁がない社会というか、意識がない環境なんだろう。
 国民であれば、誰もが経験する通過儀礼的なものとして兵役が存在するんだな、と納得する一方で、大変だなぁとも思ってしまう。
 軍人ではなく、義務として参加した一般市民の感覚が読んでいてリアルだ。
 退役すれば世界が拓けると思っていたのに、思ったよりも社会に馴染めず何となく放浪してしまったり、その日暮らしでやるせない気持ちを抱えたり。
 軍人だからというストイック一辺倒ではいられない人の内面が伝わってくる。

暴力が身近な社会で

 『首相が撃たれた日に』を読むと、個人の生活の規模の暴力も、国家間の大規模な暴力が身近な印象を受ける。
 例えば、ちょっとしたトラブルのために警察に相談してたのに、気がついたら麻薬組織に巻き込まれた女性が、結果的に戦争で全てに決着がつくという『ちょっとした問題を抱えた女』の話がある。
 他にも自分の身内の復讐のために、ある男の殺害を考えるDが思わぬ不幸により殺人の計画も人生も狂ってしまう『眠り』とか。
 暴力との距離が近い。不可抗力として、イスラエルという国では戦争やテロが生活に溶け込んでいるから書けるのかもれない。
 そう考えると、やっぱり日本は治安がいいのだと思わずにはいられない。
 そんな身近ではないイスラエルという国で生きる人々の、でもやっぱり人間だなという姿が垣間見えるいい本なのだ。

だからと言って真面目ばかりの話じゃないのよ

 一方で、これ書いて大丈夫だったの?と言いたくなるSF『もう一つのラブストーリー』は笑い半分、皮肉半分の作品だ。なんとアンドロイド化されたヒトラーとアンネ・フランクが登場する。
 不謹慎どころじゃない、と突っ込みつつも未来のイスラエルでどうやって国民の士気を上げるかと頭を絞った挙げ句、斜め上の手を打つ政治家や科学者が笑える。
 毒気を多分に含んだ笑いで、読んでてこれ好き!と声を上げたくなった。
 他にも一夜限りのお楽しみを巡って艶っぽい会話をしているイケてる男女の隣に居合わせた、色んな意味で爆発しそうな爆破テロ犯を脚本チックに書いた『良識の限界』もある。
 これはもう舞台でみたい、短編映画でもいいかもしれない。今大事なところなんで、色んな意味で、という場違いな空気感が心地良い。
 皮肉が効いているという点では巻末を飾る『嘆きの壁を移した男』も忘れられない。
 聖なるものって有名になると結局は商業化、世俗化するよね、というのを嘆きの壁でやってしまうあたりセンスがいい。これは日本だと書けない気がする、嘆きの壁に当たるものが日本にないというか、感覚が違うというか。
 
とにかく、笑いあり、脱力感あり、とんでもなく遠くて縁がなさそうなイスラエルという国に生きる人々の、思った以上に普通の人々だとい事実を伝えてくれる一冊である。
 マイナーな翻訳小説をお探し中、短くて面白い小説をお探しの方、とにかく面白い本が読みたい人とか、とにかく読んでみて。
 ついでイスラエルSFばかりを集めた『シオンズ・フィクション』と同じく、イスラエルの作家エトガル・ケレットの短編集もお薦めしておく。


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