タワマン文学#9 表参道
「年下のどこがいいの?」
暑さもだいぶ柔いだ季節の土曜日、聡美は桜子と表参道のCICADAのテラス席にいた。会うのは2ヶ月ぶりなので、夕方からそれぞれの予定まで近況報告をしようという話になり、桜子の通っていた大学の近くで「作戦会議」をすることになった。作戦会議のメンバーも減っていた。2人は総合商社の新卒同期だった。3年前まではここに怜と希美もいたが、2人は結婚し、子育て、家事、妻としての顔を持つようになり、なかなか会えなくなっていた。1年くらい前に怜の旦那さんが出張と聞き、4人で怜の勝ちどきのタワーマンションに遊びに行った。一歳間近の娘を愛でる怜は私達や男たちには見せなかった穏やかな表情をしていた。結婚したばかりの希美の表情も似ていた。聡美と桜子はその表情にばつの悪さを覚え、しばらくは2人を誘うことを控えていた。
「こういう遊び方していたことに虚しさとか思っちゃった?」桜子はスパークリングワインを一口味わう。
「虚しいのは最初から分かっていたことじゃない。東京はある程度可愛くて、気立が利いて、若い女であればタダで美味しいものが味わえる、普通に付き合ったら記念日しか行けない店を日常的にいける。ただ、若い女の期間は短いからちゃんと去り際を決めなくちゃいけないって言ってたのは桜子じゃない」そんなこと言ったっけ、と桜子は口に手を当てて上品に笑った。
聡美たちは、社会人になってすぐ、自分たちが持っている武器を理解し、最適なターゲットを決めることで資本主義を謳歌した。最初のうちは先輩の紹介で別の商社とのお食事会、外銀とのお食事会、ときには成り上がり経営者ともグラスを交わした。男は若い女の子に自分の仕事の話や成功談をするのが好きだし、女の「初めて」が好きなのだ。雑誌の中でしか見たことのない、六本木や西麻布のバーも行ったし、誰かが焼いてくれる焼肉屋にも行った。初めて、というワードを出せばどんな男もまんざらでもない顔をしていた。ルールや振る舞い方が分かってくるにつれ、リスクを楽しむようなった。パパ活スレスレなこともした。作戦会議のたびに誰かの持ち物が変わる。ECで買った黒革の無地の鞄がCのロゴが入ったバックに変わっていたり、高級ジュエリーの時計をするようになったり、男が資本主義で獲得した金で自分を輝かせる遊びが楽しかった。
同時に、虚しさもあった。仕事は変わり映えのない誰にでもできる仕事。ギリギリ都内の安いアパートに住み、ランチは月一回インスタ用の丸の内ランチ以外は手作りの、茶色が多いお弁当に水筒。そして聡美達が分かっていたように、男たちにとっても聡美たちは誰でもよかった。
「自分がいかにキラキラしているかをアピールするのに必死だったけど、キラキラしたものが減ったときに、私はただのガラスだったんだと分かったんだよね。周りがキラキラしていたから、私もキラキラしていたって」
「そもそもさ、誰にアピールしたかったんだろうね」
聡美は幼い頃の自分自身にアピールしたかったんだと思った。山梨の、ぶどうがよく採れる自然豊かな街で育ちながら、電車で2時間も掛からず行ける東京はビルの夜景でガラスの靴のように煌めていた。大学時代は気の合った同級生と慎ましくも楽しい恋愛をしながら、表参道のショーウインドを見るたびに燻る思いがあった。社会人になったときに、桜子たちと出会い、田舎娘の夢は、期間限定として叶えられた。自分が身につけるものがキラキラするたびに彼に申し訳なくなって、別れを告げたことも後悔している。もし、この田舎娘の夢を忘れることができたら、今頃別の生活があったんだ、と。
店内のダウンライトがついた。
「私さ、もうちょっと仕事頑張ろうかなって思ってるんだよね」桜子が2杯目のスパークリングをオーダーしたあとに言った。
「今まで仕事つまんない、早く結婚したいって言っていたけど、最近それなりのプロジェクトにアサインされて、大袈裟だけど私がやらないとって、思う瞬間があって、仕事楽しいって感じることが増えてきてさ」
聡美は意外だった。桜子は表参道に近い大学の幼稚園からずっと通っている、お嬢様だったから、仕事もそこそこにすぐ結婚するのだろうと思っていたからだ。
「誰でもなく、私自身が必要とされるっていいなって。」桜子の目には当時の虚しさはなかった。
「そっか。それならパパ活女子も終了かもね」聡美が茶化して、2人は笑った。
そうだねと、桜子は相槌を打ちながら、
「それで、年下男子の何がいいの?」と目をキラキラさせて聞いていた。
そのタイミングを待っていたかのように聡美のスマホが振動した。彼が家を出たようだった。
「また今度話すね」聡美は助かったと心の中で呟きながら、店を出た。
たまたま好きになったのが年下であっただけだと、聡美は思っている。きっかけは書類対応の御礼からだった。
“聡美さん、早速のご対応ありがとうございます。クライアントが急いでいたのもあって助かりました。“
シンプルなメール。会社のメールで名前を呼んでくるなんて、少し口角が上がる。彼は聡美の2つ下で、仕事に慣れ始めてきたタイミングで聡美の部署に異動してきた。初日の歓迎会の時に隣になって、好きなyoutubeやインフルエンサーの会話で盛り上がった。出社するタイミングが被ると挨拶と少しの雑談をした。社内では慎ましく会話しているたが、社内メールやteamsのやり取りに少しずつ、雑談が増えていくのは心地よかったし、周りに秘密で連絡をとり合うことは昔から楽しかった。
聡美にしては遅い、20時頃に24Fのエレベーターに乗る時、エレベータフロアでたまたま彼と遭遇した。
お疲れ様、と小さく伝えエレベーターに乗り込む。少しの無言ののち、彼からLINEを教えて欲しいと言われた。やっとか、と思う悪い女を抑え込みながらLINEを交換した。それからは毎日とは行かないまでの連絡頻度が増えた。
はじめてのデートは表参道のボネランのランチだった。表参道でフレンチならラスも行ったし、なぜとここ?思いながらも、彼との会話は心地よかった。今までは料理を堪能しながら男の自慢話を聞いていたが、彼との話を聞きながら、会話が途切れそうになれば料理を味わい、味を共有して盛り上がる。あぁ、私が好きなのはこの時間だ。
田舎娘が憧れた東京を歩く。港区女子になりきれなかった人間には、贅沢な時間だった。むしろ身に余るものだった。目指すゴールなんてない。ゴールが見えない中、必死に周りのスピードに合わせて走った。走って、走っても得られるものは何もなかった。そもそも何で走っていたのか。理由だって曖昧だ。もしかしたらこの憧憬で始めた競争に参加しなくても、私が求めていたものは手に入ったかもしれない。いや、一度は手に入っていたのだ。誰でも、じゃない、誰かに私自身が必要とされる、小さな承認欲求。それだけだった。
ただ、この生活で得たものはある。
「今日、告白してくるだろうな」と推察できる力は、この後の期待を高まらせてくれる。
東京は、いい街だ。
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