タワマン文学#5 外苑前
私にはマイルールがある。
必ず朝ご飯は食べること。誰かに抱かれた朝は外苑前の店で朝食を味わうこと。
今日、目覚めたのは恵比寿の2LDKだった。6時10分。0時を超えて飲んでもこの時間に起きてしまう。習慣の力は恐ろしい。右側に男の存在を感じる。下半身は何も身につけていない滑稽な姿ですやすやと寝ていた。会うのは2回目だった。
昨晩はウェスティンホテルの鉄板焼きを味わいながら、男と女のテンプレートな会話をした。どんな仕事、どんなライフスタイル、最近嵌っていること、恋愛観、恋愛遍歴。そこから若干の好意を匂わすアピール。2件目の誘い。どうして素直に性行為がしたいと言わず、恋愛のベールを被せるのか。でも美食を味わいながらいきなりセックスしたいと言われたら興醒めだ。空腹は最高のスパイスのように、恋愛は性行為のスパイス。あぁ、お腹が空いてきた。昨晩はお腹いっぱいまで味わったというのに。パブロフの犬のように朝になれば自然とお腹がすく。寝具は大事、と言っていた男のシモンズ製マットレスは確かに心地良いが、私はルールを優先する。シャワー借りるね、と隣の男の反応も待つまでもなく起き上がり、ベットの横のカバンに入れてあるお泊まりセットと化粧ポーチを取り出す。浴室に入り、43℃のシャワーを浴びる。お湯が気だるさを流してくれる。昨晩使った生乾きのバスタオルで身体を拭いた。メイクもそこそこにベットの足元に散らばった下着を身につけ、服を着、立てかけてあった姿見で整えた。
男はまだ夢の中。“おはよう。友達との予定が入ったから帰るね。昨日はありがとう!“LINEを入れる。
じゃあね。私は二度と来ることはない、恵比寿の家を出た。
開店時間までは少しだけ余裕がある。少し肌寒いが熱いシャワーの後は心地よかった。305号線沿いを歩き、418号線との交差点で運よくタクシーが捕まった。「ワタリウム美術館まで」運転手は少し怪訝な顔をしたがすぐにタクシーは動きだす。
中央線沿いの始発に近い駅にある私の家では一つのルールがあった。それは朝ごはんはみんなで食べること。共働きだったから家族揃うのは朝ごはんのときだった。揃ったところで会話はない。母と父がキッチンにたち、白味噌の味噌汁、時間ぴったりに予約した炊飯器のご飯、目玉焼き、昨晩の残り物を用意する。私がダイニングテーブルに運ぶ。テレビはつけない。食べ終わった後は温かいお茶を飲む。終わったら各々の予定で家を出る。大学生になっても朝帰りやお泊まりは許されなかった。そんな家庭だった。
我が家のルールを壊したのは私だ。社会人の2年目を迎えるころ、仕事が忙しくなったから、いや、この家庭に窮屈さを感じていた私は一人暮らしをすることにした。両親は反対しなかった。一言、母親から、
「朝ごはんはちゃんと食べて」とルールが決められた。それ以来、私のマイルールができた。
ワタリウム美術館の手前でタクシーを止めるとちょうどお店の前。7時30分。ぴったりだ。アンティーク調の金色のドアノブに手をかける。おはようございます。と暖かな声がする。ハーブ、コーヒー、スパイスの香りが充満している。私が最初のようだ。修道院のような長机が一台、左右に6つずつ等間隔にアンティークの椅子が並んでいる。一番入り口の、陽が当たる席に座った。
「今日はレバノンの朝ごはんです」
「いいですね。それをお願いします」
この店は2ヶ月スパンで世界各地の料理を朝ごはんにして提供する。前にきた時はマレーシア、その前はブラジル、その前はジョージア。その前は…忘れてしまった。同じ国の朝ごはんを2回食べたことはない。この店の常連になったり、顔を覚えられてしまうほど来るようになってしまったらそれは私の生活が崩壊したときだ。
一人暮らしを初めて2週間後、当時の彼氏が泊まりにきた。ずっとお預けされていたお菓子をバレないように食べるようで彼の横で眠りに着くのが勿体なかった。朝起きて、私は朝ごはんを用意しようとした。それを眠気まなこの彼が引き留めた。初めてマイルールを破った朝の居心地の悪さは今でも覚えている。
お待たせしました、とウッドプレートに大小様々なお皿が載り、皿の上には見た目から異国風な料理が数多く並ぶ。
「レバノンの朝ごはんは、パン代わりのマヌーシェ、ズッキーニとハーブ入りのオムレツのアエージェ、ハルミチーズとナスのグリル、パプリカやクルミを詰めたナスのオイル漬け、フレッシュチーズと生野菜を合わせたラブネ、ひき肉料理のケッベを中心にご用意しました」
どれがどの名前かは覚えていない。いただきます、両手を合わせフォークで少しずつ味わう。異国の味は私の想像を掻き立てる。どういう風が吹いていて、どんな人がいて、どのような文化があるのだろう。私には知らないことばかりある。
家族で海外旅行はなかった。行けるタイミングもあったものの、家族で旅行なんてと恥ずかしがっている自分もいた。1人暮らしを始めてから、初めての海外旅行は友達と行った。それからは韓国、香港、台湾、アメリカなどメジャーどころは行った。旅行ではないが、私が1人暮らし始めた情報を聞きつけ、合コンにも積極的に呼ばれるようになった。お互いを深く知らない男に抱かれる夜も少なくはなかった。それでも、朝ごはんは欠かすことはなかった。ただ、誰かに抱かれた朝に家に帰ることには居心地が悪さが消えなかった。
そのころ、このお店を見つけた。私が知らない国の料理は知らない国を想像させてくれる。それはあの家のルールに縛られて行けなかった国々かもしれない。もしかしたら両親がレバノンに行こう、と行ったかもしれない。ありえないことじゃない。起きてない過去は自由に想像できる。
それ以上に免罪符だと、アエージェを味わいながら思った。好きでもない男に抱かれて朝帰りしたなんて知ったらよい顔はしないだろう。それでもちゃんと、朝ごはんを食べている。人には自慢できないことをしている代わりに、人に話せる規則正しい生活をしている。そんな免罪符。
食後のコーヒーを飲み干し、会計をする。
「ご馳走様でした。またきます」次の予定は未定だ。でも、きっと来るのだ。
朝日が心地よい。迎賓館方面の空はビルが少なく、解放的だ。
私は窮屈さから解放されたのか。自由なのだろうか。それを求めていたのだろうか。私にはマイルールがある。これだって私が、両親と私の繋がりを意識したいだけだ。私が朝ごはんを食べなくなったとしても母も父も変わらず、私を愛してくれるだろう。昨日の男だって同じだ。もしかしたらあの日抱かれずに語り合って、お互いに納得すれば違う形でつながったかも知れないのだ。手っ取り早く性行為という手段で繋がるが、もう二度と会わない相手と何を繋ごうというのか。興醒めさせているのは私かもしれない。
カバンの中のスマホが動いた。
“見送りできなくてごめん!楽しかった!朝食べる派かな?それなら次回は築地で朝ごはん食べよう!“
テイのよいお泊まり前提の誘いに笑ってしまったが、早朝の築地なんて何年ぶりだろう。
“いいね!すごい魅力的!また連絡するね“の文言とスタンプを送り、スマホをカバンにしまった。
今後は築地に行こう。日本国の朝ごはんはあの店じゃ味わえないから。
私はどんな朝ご飯を食べるかを決めるくらいの自由が、好きだ。
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