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【短歌エッセイ】引っ越しをして気づいたこと

 3・4月は引っ越しシーズンでもある。進学や就職、転勤など、新しい環境で過ごすために引っ越しをする人も多いだろう。

 実家や自宅に荷物を置いたまま、単身で新たな生活を始める人はそれほどでもないかもしれないが、一家全員で生活の拠点を移す人にとっては、引っ越しに伴う作業は一大イベントと言ってもいい大変な作業だ。

 私は今住んでいる住居へ、約2年4ヶ月前引っ越しして来た。引っ越しはパートナーの都合によるものだ。引っ越し元と引っ越し先は車で5分くらいの距離なので、すごく近いとも言える。

 それでも、この引っ越し以前の住居には8年8ヶ月住んでいて、社会人になって実家を出てからは最長期間の生活だったし、結構捨てずに溜め込んでしまう私(とパートナー)の性格のせいもあり、増えてしまった物は多かった。

 引っ越し先が近くても、住居の中身を丸ごと移すのは大変な作業であり、増えてしまった物の諸々を思うと、移すことは気が進まなかった。とは言え、増えてしまった物を分別して捨てるいい機会ではある。


 「引っ越しは 区切りをつける 良い機会 捨てられず居る 多くを捨てて」


 上記の短歌は、当時そう気持ちを切り替えて詠んだものだ。

 

 「引っ越しの 荷造りの中 見つけしは いつの間にやら 不明の衣類」


 引っ越しの荷造りをする中で、いつの間にか行方不明になっていた服が出て来た。うっかり仕舞い込んで忘れてしまっていたのだが、荷物を全部出す中で見つけ出すことができた。引っ越しを決めてなかったら、まだまだ行方不明のままだっただろう。

 荷造りにおいて、必要な物、不要な物を分別し、随分多くの物を捨てた。

 それでも、中には迷う物もあった。これはいつか使う機会があるかもしれない、と思う物は、不要と言い切ってしまうことに躊躇いを感じたのだ。それでも、今は捨て時、と踏ん切りをつけた。以下はその時の気持ちを詠んだものだ。


 「いつの日か 機会あらむと 捨てずおく 物大抵は 無用なるゴミ」


 また、頻繁には使わないが確かに使う機会はある、という物も結構あった。そして、いつとは言えないがきっと使う機会はあるだろう、という物も。しかしそれも、あくまでも可能性の度合いに過ぎない。

 私達はそんな、使うかどうかわからない、結局は使わない、という多くの物に囲まれて生きているのかもしれない。それを無駄だと思うか人生の余白だと思うかは、人それぞれのような気がする。


 「結局は 使わぬままで 過ごす物 多しと気付く 引っ越し準備」


 ともあれ私は、今の住居でまた荷物が増えないように、日頃から溜め込まずに捨てることを意識しなければ、と思うものだ。





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瑳月 友(さづき ゆう)
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