サントーシャ『足るを知る』 〜双極性障害の頭の中 39
まったく、何という悲惨な年明けだろうか。
元旦に大地震。
翌日には被災地へ物資を輸送するための飛行機が大事故。
1年の中でたった1日、世界中がお祝いする新年元日。幸せを願う想いが満ちる日だというのに。
こんな残酷な仕打ちったら無い。
悲しみを通り越して、怒りすら覚える。
そうだ、私は怒っている。
幸い、私はどの災害からも遠い場所にいて。
そのことに申し訳無ささえ感じる。
『あけましておめでとう』
言っていいのかわからない。
だって、おめでたくなんか無い。
全然おめでたくなんか無い。
いっそ、年など明けなければ良かったのに。
『良いお年をお迎えください』
そう言ったのに。
何ということだろう。
現実はどこまでも意地悪だ。
私が憂鬱になった分、誰かの気分が少しでも晴れたらいいのに。
それさえ出来ない。
三連休にただひとり自宅で鬱々と過ごしている。
私はどこまでも役に立たない。
今朝、化粧をしていたら、窓の外から子供たちの元気な声が聞こえてきた。
いち、に、さん、し!!
にぃーに、さん、し!!
小学校のグラウンドから聞こえてくる野球少年たちの声だ。
私は子供が苦手なので(ごめんなさい!)、正直いつもなら「うるさいなぁ…」と思ってしまう。
しかし、その元気な声を聞いていたら、ふと、頭に『サントーシャ』という言葉が浮かんだ。
『サントーシャ』とは、ヨガの経典【ヨーガ・スートラ】に出てくるサンスクリット語で、日本語では『知足(ちそく)=足るを知る』と訳される。
6年前、休職していた頃にヨガの先生から教わった言葉だ。
ヨガの教えの中で、『知足』と『満足』は違うのだと語られる。
『満足』とは、今持っていないものをさらに欲すること。
『知足』とは、今手にしているものに目を向け、充分であると感謝すること。
コロナ禍では、大きな声を出すことは“悪”とされ、小学校のグラウンドから子供たちの声は消えた。
あの、沈黙の3年間。
うるさいほど元気な子供たちの声。
平和と幸せの象徴じゃないか。
今、子供たちが大声で野球が出来る素晴らしさ。それを感じさせてもらえる有り難さ。
いち、に、さん、し!!
にぃ、に、さん、し!!
化粧をしながら、思わず笑みがこぼれる。
しかし同時に、北陸の方々や事故に遭われた方々の苦しみがよぎる。
平凡で幸せな日常は、こんなに近くにあるのに。
私は今こそ『サントーシャ(知足)』を想うべきだ。
足りないものではなく、今手にしている日常に感謝すること。
双極性障害である自分も、ありのまま受け入れなくてはならない。
私に出来ることはそれくらいだ。
“足りない”だらけの非日常に耐えている人たちがいる。
noteの向こう側の方々はご無事だろうか?
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今苦しんでおられる方々の心に寄り添えますように。
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