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沖縄そばとスメルスケープの第2章|Report

久しぶりに自分史的著作から沖縄そばの記述を拾ってみる。

『今でも気になっている 過ぎ去った僕の時たちへ』という本で、2005年に沖縄の出版社ボーダーインクから出されている。書いたのは、那覇の沖映通りに小児科医院を開業していた宮城英雅先生。沖映通りの組合理事長も務めていた。

目が覚めて蚊帳の外に出て話し声のする方へ行ってみると、父が客人と夜遅いにもかかわらず「三角屋」の出前をとり、たった今それが届いたところであったようだ。生まれて初めて嗅ぐいい匂いがあたりに満ちていた。スンカンマカイ(俊寛の椀)は、白地に青い模様が施されていた。山と川と鶴が描かれていた。
誰かが蓋をとった。途端にそれまで以上に香りが強くなり、今にして思えば、これが僕とウチナースバとの初めての出会いであったのだ。白いそばが蓋の形に盛り上がり、緑色のネギ・赤いショウガ・茶色の肉・周囲が狐色をした蒲鉾などが載っていた。ネギやショウガの記憶はないが、全体としてそれはとても美味しく、一生忘れられない思い出となり、今でも大好物となってしまった。

p164-165

すごい記憶力だ。器の模様、具材や盛り付け具合までおぼえているなんて!

そして匂いに決定づけられる運命。この文に先立つ段落では次のような告白がある――「ウチナースバ(沖縄そば)の匂いがたまらなく好きだ。湯気の立っている丼に顔を近づけると、ネギや蒲鉾、ベニショウガと肉や汁の匂いのハーモニーが、頭の中一杯に広がる。」p164

国際劇場(かつての国際ショッピングセンター跡)という映画館があり、その隣が「井筒屋」というそば屋であった。初めてそこへ映画を見に行った際、井筒屋の前を通り掛かった瞬間、六年前の光景がそばの匂いと共にぱっと蘇った。稲妻に打たれたような衝撃を今でも覚えている。
映画を見ての帰り、寸分も躊躇することなく暖簾を割って飛び込み、そばを注文した。待っている間の時間が長く感じたが、僕の心は異常に興奮していた。いよいよ二度目の対面の瞬間が来た。間違いなくあの美味しい匂いのそばであった。

p165

ここでは匂いによるフラッシュバック体験、すなわちスメルスケープの現出体験が語られる。スメルスケープとは、嗅覚を通じて知覚される環境や景観のことで、視覚的なランドスケープや聴覚的なサウンドスケープと同様に、特定の場所や環境における匂いの特徴をとらえるための概念である。地理学者J.ダグラス・ポーティウスが提唱した。

戦争とその余波で長らくそばから遠ざかっていたが、匂いひとつであざやかに幼少の記憶がよみがえる。宮城先生はその後も、そばを食べる前には必ずその匂いを嗅ぐことを習わしとした。


匂いついでにふれておきたいのがヒージャーこと山羊汁。1週間シャワー浴びなかったときの臭さとまで酷評され、強烈な匂いを打ち消すためにヨモギがセットでついてくる。沖縄県民でも嫌いな人が多い一方で、専門店が70軒以上もあるといわれ、飲み屋街の怪しい路地にひっそり佇んでこっちを手招きしている。

浦添市当山の330バイパス沿いにある宮良そばでは、そんな山羊汁とコラボした沖縄そばが食べられるよ。お取り寄せもできるみたいだから、おそるおそるヒージャー入門したいって人はぜひ!

https://miyarasoba.com/

ストーンズの『山羊の頭のスープ』(1973年)は、「ウィンター」が入っているから、冬のアルバム認定で間違いないよね。A-1の「ダンシング・ウィズ・ミスターD」が気色悪くて、このアルバムのちょっと退廃的なニュアンスを先取りしている感がする。

ちなみに山羊の頭のスープは飲んだことないが、山羊の脳みそのタコスはメキシコで食ったな。おいしかったと記憶する。


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