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最強のラテン音楽を求めて|泣く子も騙す大物プロデューサー編|Liner-note

今日は二人のラテン音楽プロデューサーを紹介しよう。エミリオ・エステファン(Jr.)とセルヒオ・ジョージである。

エミリオ・エステファンは1953年サンティアゴ・デ・クーバに生を受け、68年マイアミ移住。75年にマイアミ・ラテン・ボーイズというラテン・バンドを結成した頃、グロリア・エステファン(旧姓ファハルド)と音楽教室で出会う。偶然同席した結婚式の演奏でエミリオはグロリアを歌わせ、その後彼女は正式にバンドに加入する。バンドはやがてマイアミ・サウンド・マシーンと改名し、78年二人は結婚する。

マイアミ・サウンド・マシーンとしてのヒット曲には「コンガ」がある。これは85年に300万枚を売り上げたアルバム『プリミティヴ・ラヴ』収録で、この曲はビルボード史上、ポップ/ラテン/ソウル/ダンスの4チャートに同時にランキングされた唯一の曲だという。

マイアミという雑多な街でエミリオは、ラテン音楽だけでなく、R&B、モータウン、ポップやロック、ダンスミュージックから影響を受けた。どんな音楽に対してもオープンマインドで、異なるジャンルをクロスオーバーさせる手腕がある。パーカッショニストとして音楽キャリアをスタートさせたエミリオにとって、「コンガ」はそんな曲に仕上がっている。


だが私が思うに、エミリオの真骨頂は93年のグロリア・エステファン『ミ・ティエラ』にある(今回はこのアルバムを紹介するための回だと言ってよいほど)。マイアミ・サウンド・マシーンをアメリカで成功させるため、エミリオは英語で楽曲を制作するようになるが、『ミ・ティエラ』は8年ぶりにスペイン語に回帰したフルラテンアルバムだ。この作品でグロリアは初のグラミー賞を獲得した。

高い評価の理由は、帰りたくても帰れない故郷キューバに対する制作陣のヒリヒリするような郷愁に、全世界が胸を締めつけられたからではないだろうか。ルンベーロの遺伝子がもたらすグルーヴとメロディは、セピア色でどことなく哀しげだ。グロリアもアーティストとして成熟し、すべての曲で際立った歌唱力や表現力をみせている。

代表してファニート・マルケス作「アジェール」をお聞きいただこう。ラテンポップス風のAメロを組み入れたソンみたいなフレーバーの曲と言ったらいいだろうか。“Frescor de primavera por toda eternidad”という歌詞が個人的に気に入っている。「春の日のきりっとした肌寒さが永遠だったらいいのに…」と意訳しておこう。


エミリオは、ジョン・セカダ、リッキー・マーティン、ジェニファー・ロペス、シャキーラ、チャーリー・サーなどをプロデュースしたキャリアを持つ。アーティストとの深い信頼関係を築き、彼らの個性を引き出すことに長ける。さりげなく2014年プロデューサー・オブ・ザ・イヤー賞なんかも受賞している。ホテルやレストランなどビジネス経営に携わる実業家でもある。いや、彼らの音楽事務所自体がすでに大企業なんだけどね。


セルヒオ・ジョージは1961年生まれのプエルトリコ系ラティーノ。マーク・アンソニー、ビクトル・マヌエル、フランキー・ネグロン、ソン・バイ・フォー、ルイス・エンリケらのプロデュースを手がけた。日本のサルサバンド、オルケスタ・デ・ラ・ルスもお世話になっている。もちろんグラミー賞なども複数回受賞している。

1980年代にはピアニストとして活動していたが、次第に制作的な立場にシフトし、RMM時代にティト・ニエベスやジョニー&レイのプロデューサーを務めたことで才能が開花した。セルヒオも広範なラテン音楽ジャンルを扱うが、サルサが常に活動の中心にある。彼はサルサの伝統的なスタイルを保ちつつも、新しい要素を取り入れてジャンルを活性化させた。彼のプロデュースする楽曲には、現代音楽のトレンドや洗練されたアレンジが取り入れられている。

そのいい例がDLG(Dark Latin Grooveの略)だろう。ボーカルのヒューイ・ダンバーを発掘し、ジェームス・ダ・バルバとフラガンシアをフィーチャーしたスリーマンセルの編成。サルサにラガマフィン、Hip-Hopの要素を加えて「リアルな若いヤツらの音楽」を世に放った。活動期間は短かったが、彗星の如きインパクトを与えた。

アルバム『スイング・オン』の1曲目「ラ・キエロ・ア・モリール」。この曲は詞がいい。オリジナルはフランシス・カブレル「Je l'aime à mourir」(仏語)。小椋佳のようなテイストのいわゆるフォークソングの系譜で、「死ぬほど好き」という気持ちを無垢な詩的抽象の言葉にのせて歌い紡ぐ。

セルヒオ・バルガスのメレンゲ版に比べると、曲の構成に抑揚をつけてグルーヴィー度を高めている。ヒューイの声の出しどころも濃淡と陰影をつけている感じ。ただ「エエエエエ〜エエ〜」という謎の雄叫び部分は、セルヒオ・バルガスへのオマージュを込めてか、そっくりそのまま踏襲している。


ラ・インディアもハウスミュージックやラテンポップの世界からの転身で、実は最初のサルサアルバムのプロデューサーはエディ・パルミエリだった。セルヒオが関わるのは1994年の『ディセン・ケ・ソイ』から。ただその前に、マーク・アンソニーと「ビビール・ロ・ヌエストロ」をデュエットさせ、RMMの『コンビナシオン・ペルフェクタ』(1993年)に収録した。これが大好評だったのは周知の事実だ。新しい才能の発掘はセルヒオの十八番なのだ。

ここでセレクトするのは同アルバムのタイトル曲だ。前フリが長いので、歌い出しから聞きたいなら1:41に合わせるのがよい。そんなに古くないコロンビアでのライブ風景だが、インディアの女性人気ぶりがよくわかる。彼女はフェミニストで、今風に言えばボディポジティブなところが女性受けの秘訣かもしれない。まさかそこまでセルヒオのプロデュースではないだろうが。(それにしても、斜め後ろのスマホ握ったキミは何者?)


ファニアのジョニー・パチェーコやラリー・ハーロウ、ルイ・ラミレスらは世代じゃないのでわからないが、星の数ほどのラテン音楽プロデューサーに注目して、音楽配信サービスに入り浸っても当分は飽きないはずだよ。

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