津堅島の家の名前#3 名づけのルール|Studies
津堅島では、屋号の命名には分家する時期の相対的な時間差に応じて、おおまかなルールがあると考えてよいだろう。あくまでも仮説の領域であるが、志村家が明治期に家を興した(ヤーダティした)という設定でそのルールを整理しておく。
図中の記号だが、屋号の接頭語をA、語幹をB、接尾語をCと記号化する。Aのうち、方角・位置を表わすものにa’、名前・年序を表わすものをa”とする。
移転などで本家を樹立した場合には、この時点では他に男系による血縁的つながりはないから、屋号はBのみである。志村家の場合は口語では〈シムラー〉となる。
世代が更新されBから分家した家は、本家に対する相対的劣位を示すCを加えなければならない。これには系譜上の傍系を意味する「グヮ」だけが当てはまる。ただし、この過程は分家対象者が一人のときに辿られるもので、複数いる場合は省略されることもある。志村家では〈シムラーグヮ〉となる。
さらに世代を経てBから新たに分家が生まれる。当家は方角・位置のa’を冠する。これに該当するのが「アガリ」や「メー」であることは、先に触れた村落の展開過程から明らかである。志村家の二人の息子には〈アガリシムラー〉〈メーシムラー〉などが与えられる。
次にBから分家をする家はa’に相応しい語がない場合、名前・年序のa”を使用する。また、B+Cからの分家も、その時点での他の分家の屋号と重複しないように上の順序でA群から選定する。志村家の場合、〈ジナンシムラー〉〈マサシシムラー〉などの屋号となる。また、〈アガリシムラー〉からの分かれだと、〈メーアガリシムラー〉や〈アガリシムラーグヮ〉などが想定される。
世代深度が深まってB+C系統が分節すると、接頭語Aをつける家がでてくる。この場合、同じリネージのA+B系統の屋号と重ならないことが条件となる。つまり〈シムラーグヮ〉から分家する家は、〈アガリシムラーグヮ〉の屋号がすでにあることを踏まえて、それ以外の名づけを考えなくてはならないということである。
この仮説上のルールにはいくつかの疑問点――a’がa”より優先される理由、方角+方角、名前+名前のように接頭語を重ねることは敬遠される理由など――も積み残されている。バトンは託された。
<家の名前シリーズ終わり>