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最強のラテン音楽を求めて|サルサ・ロマンティカの第二世代編|Liner-note

カリブ海の島プエルトリコは Borinquen/ボリンケンともいわれる。先住民のタイノ族の言葉で「勇敢な首長の国」を意味するそうな。

このボリンケンはプエルトリケーニョにとって郷愁を誘う言葉なのか、曲名にもしばしば登場する。その名もズバリ“Borinquen″にはじまり、“Borinquen Bella″、“Mujer Borinqueña″、“Lamento Borincano″、“Boricua Hasta La Muerte”などなど。プエルトリコは独立国ではないが、俗にいう国歌は“La Borinqueña”と呼ばれる。

プエルトリカン・サルサにはもうひとつ謎な言葉がある。それがJíbaro/ヒバロだ。しばしばヒバリートとも愛称される。

この語はもともとスペイン系の農民を指しており、転じて彼らの音楽もヒバロと呼ばれる。クアトロ、ボンゴ、マラカス、グィロなどアコースティックな楽器が中心で、牧歌的な内容はキューバのグァヒーロと比せられる。ヒバロには近代化に背を向けた遁世者的なニュアンスも含まれるようで、ヒバロの魂を感じるか感じないかで曲の評価が分かれたりする。

…ダメだ…この調子じゃ終わらない。今日は短く書こうと決めたのに…

ここからはプエルトリコの重要な音楽史の説明をばっさりカットして本題に入る。今回、もうひとつのサルサの都 プエルトリコ(サンファン)編で推したかったのは、Jerry Rivera/ジェリー・リベラとVíctor Manuelle/ビクトル・マヌエルなのだ。

ジェリー・リベラはアイドル路線サルサの第一人者だと思っている(註1)。音楽一家リベラ・ファミリーの長男で(1973年生まれ)、弱冠15歳にしてアルバムデビューする。1992年リリースの3作目『Cuenta Conmigo』は数々の賞を獲得し、史上最も売れたサルサ・アルバムとなった。シングルカットされた“Amores Como El Nuestro″の印象的なイントロは、中南米中のあらゆる街角で流れ、その後もHIP-HOPの楽曲でサンプリングに用いられたりした。ちょっと猿顔ではあるが、マッチョになる前はイケメンで、日本に生まれていたらジャニーズに入所していただろう。キムタクと同世代だからSMAPのメンバーだったかもね。

ビクトル・マヌエルは少し違う。1968年生まれの彼の素質を最初に見出したのが、演歌系サルサの重鎮ヒルベルト・サンタ・ロサ。彼のステージに飛び入りしたのがきっかけなんて、どんだけの強心臓なんだ。1993年、アルバム『Justo a Tiempo』でデビュー。93年といえば、マーク・アンソニーがデビューした年でもある。彼はファニア後の下火だったNYサルサシーンに活を入れた功労者だが、ソネーロの器ではないと揶揄される。一方のビクトルは真のソネーロだと評価され、モントゥーノ部分で即興(Soneo)で歌詞を変化させ、聴衆を楽しませることができる。

二人は広い意味でサルサ・ロマンティカの流れに位置する。これは1980年半ば頃から人気が出たサルサの一ジャンルで、ミディアムでメロウなサウンドと愛憎を歌う詞が特徴。日本でいうと歌謡曲っぽい立ち位置で、対局にあるのがクラブで人気の踊れるサルサ・ドゥーラ。

そのサルサ・ロマンティカのツートップともいえるアーティストをプエルトリコは輩出している。フランキー・ルイスとエディ・サンティアゴだ(この解説も端折る)。そして今日紹介するのは、ジェリーとビクトルが二人と共演した曲なのである。

①Mi Libertad/ミ・リベルタッド

ホテルで演奏していた父親に同行した14歳のジェリーは、宿泊客だったフランキー・ルイスがステージに登場して数曲歌ったとき、一緒に写真を撮った。このときの写真は1998年に死去した彼のトリビュートアルバム『Canto a mi Idolo... Frankie Ruiz』のジャケに使用された。これはそのアルバムからの一曲(なので共演ではなくカバー)。YouTubeはfeat. Voltioバージョンのオフィシャルにした。ボルティオが何者かは知らないが…(不勉強ですな)

②Antídoto Y Veneno/アンティドート・イ・ベネノ

エディ・サンティアゴとビクトルの共演曲で、1999年『Celebración: Epic Duets』所収。セルヒオ・ジョージがディレクションしている。もともとは1989年のエディのヒット曲だが、終盤のモントゥーノはこのデュオのために変曲・追加されたパートで、ビクトルのコール&レスポンスの魅力が伝わるだろう。

ジェリーとビクトルのソロの曲も紹介しておこう。

③Una y Mil Veces/ウナ・イ・ミルベセス -Jerry Rivera

比較的売れなかった1996年のアルバム『Fresco』からのピックアップ。耳障りのよい曲調で、歌謡曲っぽいでしょ。

④He Tratado/エ・トラタード -Victor Manuelle

ビクトル(向かって左)の曲はなんとなく湿っぽく大概は長尺なので、ビギナーは飽きるかなと思ってライブ映像にした。本来はソロの曲だが、ヒキガエルを潰したような風貌の(いい意味で…って、んなわけあるかい!)ヒルベルト・サンタ・ロサとのデュエットのほうが有名。だけどここではFeat. Norberto Vélezにしておく。ノルベルトが何者かは知らないが…(重ね重ね不勉強ですな)

  1. プエルトリコにはメヌードという子どもや若者向けの音楽グループが1977年から活動してきた歴史があり、リッキー・マーティンに代表されるポップスターを生んでいる。


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