ホワイトな学校へ#48 寄り道⑫ 理不尽なことは嫌い~家出の話
誰だって、理不尽なことは嫌いだと思う。でも、仕事をしていると、理不尽なことでも我慢しなくてはならないこともある。
そんな時、私は、無理やりにでも、自分を納得させる理屈をつける。または、自分が許せるぎりぎりの対応を考える。
唯々諾々と受け入れることはしたくないと、常々思っている。
(これをアップするまでに、書けるようなよい例があったら書きますが、実際に起きている理不尽なことは、公にできないことがほとんどです(;^_^A)
つまり、理不尽なことを、理不尽だと思いながらやると、ストレスがたまるので、何とか自分を納得させる理屈をつけたり、ぎりぎりの対応にしたりすることにより、ストレスを軽減させることができるのではないかという、考え方の提案である。
「自分が許せるぎりぎりの対応」として、一つ例が挙げられるとすれば、今年度、「学校のホームページに、校長の顔写真を載せましょう。」と、地区の教育委員会からお達しが来たこと。
載せたい人は載せればいいが、載せたくない人は載せなくたっていいじゃないか。
私は、載せたくない。
これは強制ではないことを、地区の教育委員会に確認したにもかかわらず、指導主事から、お願いの電話がかかってきた。「強制ではないと、確認済みです。」と言って、電話を切ったが、こんなことで、電話をさせられる指導主事も気の毒だ。
強制ではないけれど、みんな載せてますよ、というような、同調圧力を感じる…
かといって、そのまま言うことを聞くのは悔しい。
そこで私は、例のSSSのMさんが作ってくれた掲示物を載せることにした。⇊⇊
私の実物の写真を載せるより、ずっと感じがいいと思いませんか?
(因みに教育委員会からは、「その手があったか(笑)」と、言われました。)
こういうことです。
思い起こせば、私は、子供の頃から、こんな感じだった。
母に、「女の子なんだから、部屋をいつもきれいにしておきなさい。」と叱られたとき、猛反発した。
「『女の子なんだから』って、なにそれ!男だって、女だって、関係なく部屋は片付けるべきでしょう。『女の子なんだから』って、その言い方が納得できない!」と。
そこですか⁈
部屋は、言われる前に片付けた方がいいですよね。でも、こういう理不尽な言われ方に引っかかってしまう、面倒くさい子供だったと思う。
家出の話
私は、自分としては、小学校3年生から4年生になる春休みの出来事だと思っていたが、そうだとすると、3つ違いの妹が小学校の入学にあたるので、こんな大それたことをやっていられる暇はなかったはず。
だから、小学校2年生から3年生になる春休みの出来事だと思う。
春休みになったら、母の実家に連れて行ってくれると約束していた。
私は、大喜びで行く準備をしていた。
子供の頃から、計画を立てたり事前に準備したりするのが好きだった。
母の実家には、二つ年下の従妹Mちゃんがいる。
同い年の男の子もいるのだが、そちらはいいとして、まずは、Mちゃんへのおみやげを準備した。
私の小物コレクションの中から、Mちゃんが喜びそうなものを見つくろって、かわいらしく包む。
そして、何をして遊ぶか計画を立てる。
着替えや、その他もろもろ必要なものをそろえて、準備万端。
毎日、荷物を点検して、出発の日を心待ちにしていた。
ところが、いざ、春休みになったら、急な仕事が入って行けなくなったという。(「父のこと」で述べたように、当時父は、製本業を始めたところだった。)母に電車で連れて行ってほしいと頼んだが、母も仕事を手伝わなくてはならないし、子供だけおいてきたら迷惑だから、とにかく駄目だという。
私の中の、理不尽嫌いが大騒ぎを始めた。
この、「すごく楽しみにしていた」という私の気持ちはどこに持っていけばいいのか。
親だからって、約束を破っていいのか?
なぜ、子供は親の都合で我慢を強いられなければならないのか。
そもそも、親に連れて行ってもらわなければ、出掛けられないのか?
ここで、私は、
「そうだ、親なんかあてにしないで、自分で行けばいいのだ。」
ということに思い至った。
しかし、母の実家への行き方がわからない。
最寄りの駅の名前は、覚えていたが、その駅から乗るバスがわからない。
自分の無知が、悔しい…。
私は、B叔父の家なら行き方がわかることに気付いた。B叔父の家まで電車で行ったことはなかったが、最寄りのSS駅で買い物をしたとき、B叔母から「この5番のバスに乗れば、n山のバス停に着くんだよ。」と聞いていた。SS駅はK線で、S駅から乗ることも知っている。
B叔父の家なら行ける。
両親は朝から仕事中、行くなら今だ。
私は、貯金箱からお金を取り出し、母の実家に行くために準備していた荷物を持った。
そうしたら、「お姉ちゃん、どこ行くの?」妹に見つかった…。
「B叔父さんの家に行くんだけど…。」
「私も行く!」と、妹。
ここで騒がれては、計画が水の泡だ。
仕方ない連れて行くか。
妹は幼稚園生だから、電車賃はかからない。
玄関を出ようとしたところで、祖母に見つかった。
「N=^_^=ちゃん、どこ行くの?」
「うーん、ちょっとB叔父さんち。」
さすがに嘘はつけなかった…。
私は、道々、すぐにでも追手が来るのではないかと気が気ではなかった。
もっと合理的な行き方はあるのだが、8歳の私には今まで見聞きした知識の断片をつなぎ合わせ、B叔父までの家のルートを導き出し、S駅までは超遠回りの一通りしか考えられなかった。
後になって、聞いたのだが、この時祖母は、まさか小学2年生がB叔父の家まで行けるわけがない、ましてや妹を連れて行くわけがないと思い込んでいたそうで、昼ご飯の時になって、私たちがいないことに気付き、騒ぎ始めた両親に、「そういえば、B叔父のところに行くとか言ってたけど、そんなわけないわよねぇ。」と話し、発覚したのだった。
ナイス、祖母。
さて、私たちは、発覚した時点で、すでにB叔父の家に着いていた。
しかし、一つ誤算が…。
いつも家にいるはずのB叔母が、この日たまたま出かけていて留守だった。仕方がないので、私たちは荷物をB叔父の家の玄関の取っ手にかけ、近くの公園で遊んで待つことにした。
妹が、お腹がすいたという。
当時は、今のように、どこにでもコンビニがあるわけではなく、私にはお昼ご飯を調達する知恵がなかった。
小一時間ほどして、「おーい、N=^_^=!」という声がした。
私は、最初、その声を父だと思い、絶対怒られると肝を冷やしたが、声の主はB叔父だった。
両親からの連絡を受け、今日はB叔母が家にいないので、念のため会社を早退して来たのだった。
B叔父には、よく来られたなぁ、と褒められた。
B叔父の家に入れてもらうと、ほどなく、母が到着した。
母は、私を怒らなかった。妹は、お腹がすいたと言って、母が持ってきたサンドイッチをガツガツ食べた。
そこで、私は、号泣した。
それまで、泣きたい気持ちは全然なかったのに、なぜ、号泣したのかわからない。たぶん、自分一人ならまだしも、妹まで連れて、大それたことをしでかし、さぞかし怒られると思ったら、全然怒られなかった。
怒られたら反論しようと構えていたのに、予想とは違う対応に拍子抜けし、緊張の糸が切れたのだろう。
その後、春休み中、私たちはB叔父の家で、楽しく過ごした。
父は、もう帰って来なくていい、と怒っていると聞いたが、家に帰ったときも全く怒られなかった。
私なりに沸点を下げたのか、両親が子供との約束だからと言って無下にすることをやめたのかはわからないが、その後、私がここまで強硬手段に出ることはなかった。
いまだに妹には、お姉ちゃんは、昔から変な子だったよね、と言われる。
理不尽なことを唯々諾々と受け入れることをしないのは、今に至る。
反骨精神というと大げさだが、いざとなったら反論する覚悟というか、そういう心の備えはあった方が、ストレスなく仕事ができるように思います。
自分が理不尽なことが嫌いなので、職員にはそういう対応は絶対にしないと、決めています。
ご参考までに
次回は、寄り道⑬ 地域コミュニティでの子育ち です=^_^=