私とnote⑲ 忘れたくないことを書く~海の思い出
夏~水泳~海、と、連想ゲームのようにつながってきました。
いずれも、忘れたくない思い出です。
皆さんからのキーワードでスイッチが入り、普段は忘れていたことを思い出す。思い出したことを、noteにまとめていると、まつわる出来事が、さらに思い出されてくる。
記憶のメカニズムは、不思議である。
私の母が認知症ですべてを忘れてしまったように、私もいつか、何もかも忘れてしまう日が来るのだろう。
そして自分の存在自体も、いつか消え去ってしまうとすれば、それまでの間に忘れたくない思い出を、こうしてnoteに書き残しておくのもいいと思う。
ついては、「No.42所感=^_^= 水泳~海のエピソード」 でそのうち書くと言っていた、懐かしい海の思い出をまず、一つ。
中学校2年生、友達の親御さんの実家に誘われたこと
中学2年生になって同じクラスになり、急に仲良くなったK。
出身の小学校も違えば、部活動も違う(彼女は確か、剣道部。私は、卓球部…あ、この頃は一時的にブラバンにも入っていた…また一つ思い出した)。
そして、Kはとてもかわいらしい。男の子にモテモテ。
私は、みつあみをして、ぶすったれ。
そんなKと私が何で友達になったか謎なのだが、この友情は長くは続かない…。
その大きな原因となったのが、夏休みにKの親御さんの実家に誘われたことだった。
Kの親御さんの実家は、近県の海辺にあった。
いとこが男の子ばかりで、行ってもつまらないから、一緒に行こうと誘われた。
私は、喜んでお供させてもらうことにした。
こういう誘いは断らないことで、絶対に何か楽しいことがあると、私は学習していた。
実際、この海辺での体験は、とても楽しかった。
ごはんがおいしい!
海の近くだから、とにかく海の幸がおいしかった。
そして、いとこが男の子ばかりだから、毎食ご飯が大量に用意される。
そして、おじさんが、
「さあ、たくさん食え!」
と言う・・・
…
…
当時私は、超成長期だった。(どこかに書いたか?)
中学校の3年間(正確に言えば、2年半程)で、身長が17cm伸びた。特に、この中2の時期は、異常なくらい食べた。
1日に水代わりの牛乳1ℓ以上。叔父の家に遊びに行ったときは、高い料理屋の天ぷら定食を7人前食べ、後々語り草になったほど。(詳しくは、別の機会に!)
…
…
というわけだから、目の前においしいご飯を並べられて、友達の実家だからとか、知らない人ばかりだとか、関係ない。格好なんかつけてられない。
私は、ご飯を何杯もおかわりし、おいしい、おいしい、と言いながら、大量に食べた。
当のKは、かわいらしく、ご飯を少ししか食べない。
私の食欲に呆れたような表情で、よかったらこれも食べて、と、自分の分を私にくれた。もちろん、私は、喜んでいただいた。
おもてなしをしたことがある方ならわかると思うが、地域の食材で料理を用意して、それをおいしいと食べてもらえることが一番うれしいのだと思う。
1日目の1食めで、私は、Kの実家の皆さんと、すっかり打ち解けた。
海が楽しい!
すぐ近くに海があるので、海に連れて行ってもらった。
Kは、かわいらしい水着を着て、日焼け止めを塗り、日に焼けるのは嫌だと言って、パラソルの下でじっとしている。
折角海に来たのに、もったいない!
私は、そんなKに付き合う気になれず、
「私は海に入りたいけど、いい?」
と、一応聞いたら、どうぞ、と言うので心置きなく遊ばせてもらった。
海辺の近くに住む一家には、海のレジャー用の遊び道具が大量に用意されていた。
ビーチボール、浮き輪はもちろん、ボート、水中眼鏡…
水中眼鏡を借りて海に潜ると、海の中の景色はとてもきれいで、私は、楽しくて楽しくて、夢中になった。
突然、
「イテテ!!」
と、いとこの一人が、悲鳴を上げた。
水中眼鏡をずっとかけていると、水蒸気で曇ってくる。
だから、時々海水で洗って付け直すのだが、その水中眼鏡の中に、切れたクラゲの足が入ってしまったのだった。
いとこの目の周りに、赤いミミズばれができている。
家族は、心配しながらも、その間抜けぶりを笑った。
私も、大笑いした。
お盆を過ぎた海は、クラゲも結構漂っていた。私たちは、クラゲに気をつけながら遊んでいたのだが、切れたクラゲの足でも、こんなに威力が残っているとは知らなかった。
田んぼに・・・!
実家の自転車を借りて、Kと近所をサイクリングした。
日差しは熱くても、田んぼの畦道を走るのは、とても気持ちよかった。
私たちは、2台並んで、楽しくおしゃべりしながら走っていた。
広めの畦道はよかったのだが、畦道が少し狭くなった。
2台並んで走るのは危ないな、と思った瞬間、右側を走っていた私の自転車の前輪が、道路から落ちてしまった。
といっても、段差は少ししかなく、左側に体重をかければ落ちずに済むかもと、がんばろうとしたが、努力も空しく、自転車はゆっくりと田んぼの方に傾いていった。
もうダメだ…
とっさに、私は、右手を田んぼの中についた。
かろうじて、顔面は泥水に浸からず、顔の右側すれすれに水面がある。
私は、畦道から田んぼへの斜面に、足が上になった状態で、かろうじて持ちこたえていた。(みゃー先生のように、うまく絵が描けたらいいのですが…。)
早く起こしてーー!
と言っても、Kの体格は私と同じくらい。
しかも、斜面と私の間には、自転車がある。
まずは、自転車をどかさないと、私を起こすことはできない。
しかし、私がどかないと、自転車を動かすことはできない…
どうやったのかわからないが、とにかくKは必死で頑張って、なんとか自転車をどかした。
私を引き上げようにも、足の方が上なんだから、そのまま起こすことはできない。下手をすると、Kまで田んぼに落ちてしまう。
自転車をどかしてもらったので、足をできるだけ田んぼの方に下げて、Kに左手を引っ張ってもらって、やっとの思いで這い上がることができた。
私は、右上半身、ドロドロ。
当時、みつあみをしていた髪の毛もドロドロ。
そして、私の泥だらけの右腕には、黒い物体が・・・
蛭!!
ギャー、と叫んで払い落とした。
半べそでKの実家に帰った私は、皆さんに大笑いされ、すぐにお風呂に入れてもらった。
その日の夕食は、私の武勇伝?で持ちきりだった。
以上が、理由だと思う
皆さん、お気づきと思うが、この実家での出来事で、私はすっかりKに嫌われてしまった。
Kは実家に行くと男の子ばかりで面白くないから私を誘ったのに、私はそのKをそっちのけで、楽しみ過ぎた。
しかも、遠慮なくガツガツとご飯を食べ、田んぼにまで落ちるという荒業をやってのけたことで、図らずもすっかり人気者になってしまった。
Kにしては面白くなかっただろう。
田んぼに落ちた武勇伝は、私ばかりが目立ったが、それを救出したKはさぞかし大変だったと思うのだ。
帰る時、実家の皆さんは、またおいで、と言ってくれたが、私がそのお宅に行くことは二度となかったのである。
楽しかったけれど、苦味も残る思い出である。
何事にも、節度をもって臨むべし…
小学校5年生、アパートに住むお姉さんの実家に行ったこと
一つのエピソードで3000字近くなってしまったので、この話は、またの機会に=^_^=
よろしく😻