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しまい込んでいた感情を掘り出して手放す


私の親は
「デブ」
「勉強しろ」
「全て結果次第」
とよく言ってくる。

だから頑張った。
部活のキャプテンもやりながら成績は常にトップ。先生に褒められるため、クラスの委員長をやって、みんなと仲の良い“いい子”を演じた。
でも、
父からよく
「いい子ちゃんにはなるな」
と言われてたから、たまにふざける役も演じた。

「特定の仲のいい友達を作るな。」

ちょっと気になる人と電話してると
「誰と電話してんの?」


もちろん反抗期なんてなかった。
いきなり部屋に入ってくる。
ベッドに横になってるのを見られたら、「勉強しろ」って言われてるような気がして、休憩中も足音を警戒してる。

だから、自分の部屋にいても全然休まらない。


勉強が苦手な妹は、よく友達とテスト期間に遊んでいる。

いいな。

両親に「勉強しろ」って言われてもうまくかわして行く。なのに、両親から可愛がられている。

両親の注目を浴びたくて、頑張ってきたのに…


これなら私も頑張らなきゃよかった、

勉強なんてほどほどの成績だったら、トップを目指してテスト期間もガリ勉しなくてもよかったのにな。


それでも私にはこれしかないから、頑張ることしかわからなかった。
いつのまにか自分を見失っていった。

これが通用しているうちは楽しかった。親も、友達も、友達の親も褒めてくれる。私もそんな完璧な私が好きだった。




しかし、高校に入って部活を辞めた。大学受験に力を入れるという理由で。

でも今思うとそれも言い訳だった。

きつい練習から帰ってきたら、それ以外は勉強するという生活から逃げたかった。

練習試合のたびに、帰りの車で、
「お前はセンスないな」
「妹なら簡単にできるのに」
と怒鳴られ毎回おちこむ。

練習でやったことを試してみたから私なりにはよかったと思うことも父は否定してくる。

私は私の意見は的を得てないんだ…

と思い、もう言わないようにした。


一方で妹は私よりも運動神経がいい。

妹のプレーを父母妹で見ながら、
「これはRin(私)にはできないわ」

他人の悪いプレーがあったら
「Rin(私)みたいな動きだな」

と私が2階で勉強してる時に聞こえる声で言っている。


初めは大泣きしながらも、ノートに感情を書き出してなんとか次に活かそうとしていたけど、次第に感情を殺す方が楽だということに気づいていった。

友達と遊びたいし、恋もしたいし、家でゆっくり過ごしたかった。




高校3年生になり、受験勉強が本格的に始まる。この時期に成績に比例して、20キロ以上体重が増えた。

「自分に甘いな」
「頑張るしかないんだ」

とよく母から言われていた言葉を自分に言い聞かせて、平日も7時間以上、休日は13時間以上勉強した。

泣きながら単語帳を読んでいた時期もあったが、後半はほぼ記憶がない。
もう心は限界だったみたい。

パツパツの制服を身にまとい、受験に挑んだ。結果は不合格。悔しさも悲しさも何にも感じなかった。



体重が20キロ増えたのも、受験に落ちたのも、部活を辞めたのも、
私は、これを確かめたかったからだと思う。
それは、

どんな私でも、愛してもらえるのか

太っても、
勉強できなくても、
部活で活躍できなくても、


「私は私だから大丈夫だよ」

って両親が言ってくれるのを本心で期待していた。




物心ついたときから、甘え上手な妹はすぐに人を惹きつける。だから、妹をいじめた。
さみしかった
もっとかまってほしかった

幼稚園の頃、いい成績をとるとお母さんとお父さんが褒めてくれるのがすごく嬉しかったから、もっともっと見て欲しくて、結果や周りの評価ばかり気にした。それはどんどんエスカレートしていった。


受験に落ち、部活を辞め、バイト生活になり、肩書きを全て失った時分かったこと👇

私自信が、肩書きを身にまとった私しか愛せなくなっていたこと






現在は過食と自分と向き合いながら、健康的な美ボディになるために研究している。
やっぱり食べ過ぎてしまう日もある。

私の中の小さな時の記憶が、太っても愛されるのか確かめたくて、過食したくなる。



もう大丈夫だよ。もう確かめられたよ。
私は頑張っても頑張らなくても、太っても痩せても愛されているし、愛しているよ。
ありがとう😊


「小さな私」の癒し方 幼少期の記憶で人生は9割決まる


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