人間失格な私、夢を追う。 創作短編小説1
芥川龍之介の名作「人間失格」、100円。
私が住む築45年のアパートの家賃、4万円。
私の住むアパートは人間失格より高いのはなぜか。ふと疑問に思った。
壁に沿ってぎっしりと本が詰め込まれている神保町の古本屋で、21歳、名前は別に語らんでもいいような、学校の課題と向き合わずにフラフラしている私は、気分転換という名前の暇つぶしをしていた。
そして私が今まさに手に取った『人間失格』はとてもじゃないが買いたいとは思わない。汚すぎるからだ。中をぱらぱらとめくってみる。うん、しっかり色褪せている。しかし、文字が読めないわけではない。内容がわかればそれでいい、というような人、もしくは、この一冊にビビビときてしまったという変わり者であればこの『人間失格』でも十分に読む価値はあるだろう。
もう一つ、買わない理由は、ここで支払う100円は私の一食に値するからだ。いつかの私が餓死するわけにいかないので、ここでお金を使うのは辞めておこう。
そっと本を元あった場所に戻す。
あたりを見渡す限り、この古本屋は名作の宝庫である。一体、4万円を払ったらここの本は何冊買えるのだろう。
私の背中に背負っているリュックサックの中にはまだ世に出していない油絵が入っている。私は美大に通っているが、才能的な問題で進学をしようか迷っていた。油絵を描くにはとてもお金がかかる。しかし、売れるのはほんの一握りという、厳しい世界なのだ。
今このリュックサックに入っている油絵を取り出して、この古本屋の前で通り過ぎる人々に見せる、そして大声で
「未来の芸術家の絵お売りしてます〜。いかがですか〜?」
「お客さんいいセンスしてますねぇ、そうなんです。私が描いたんですよ」
「え、いくらかって? うーん、そうですねえ、2000円でお売りします。もう一枚買っていただいたら、ステッカープレゼントしますよ」
そうしたらその中の一人がたまたま出版社の方で、「今度出版する本の表紙に採用したいので、これ、僕の名刺です」とか言い始めて、私に一枚の名刺をくれる。
私が描いた油絵が表紙になった本、これがまたすごいヒット作になって、「現代社会を生きるすべての人が読むべき本!」みたいな肩書きができて、この表紙を描いた私が個展を出すことになる。その個展に来た海外の有名なアートディレクターの目に留まり、ついには海外進出。
しかし、何百年後か、インターネットの無料イラストの一部となり、私が描いた油絵は希少価値がなくなり、そこらに生えている雑草のような存在になってしまうだろう。ここの古本屋にいい子に並べられている本たち以下である。
ああ、やめよう、悪い妄想は私の悪い癖である。
こんな社会不適合の私でも、日本の未来を託された若者なのだ。
次のアルバイトを探さなくては、4万円の家賃でさえ払えないのだ。
古本屋を出て駅に向かう途中、楽器を背負った30歳前後の男とすれ違った。楽器に疎い私はそれがギターなのかベースなのか区別はつかないが、ミュージシャンであることはわかる。その男は、猫背で目の下に隈ができていて、そしてどんな黒い絵の具よりも暗い顔をしていた。心なしか、太宰治に見えた。
私も夢を追う末端の人間である。きっとあの男と同じように。だがあの男の方が、私よりもはるかに夢に近いだろう。なぜなら、私は今夢を諦めようとしていたから。
もう少し頑張ってみようかなと思った。
私は今出てきた古本屋にもう一度入店する。
そして先程買うのを諦めた100円の『人間失格』手にし、をレジに持っていた。
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