見出し画像

2024年下半期読書 7-9月(一言感想つき)

7-8月は毎週毎週、友人が遊びにきてくれたり、遊びに行ったり、帰省したり、とにかく予定が目白押しで目まぐるしい日々。
9月は久しぶりに家族水入らずで4泊5日の北海道旅行。
あまりの酷暑にバテながらも、充実の夏でした。


2024/7

📙チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷|塩野七生

塩野七生さんをはじめて読んだ。小説風味を期待していたので、もう少し作者のチェーザレが出てるとよかったなあと思ったけど(好きであることは存分に伝わったので、だからこそ妄想をもっともっと感じたかった)。塩野さんの著作は歴史書と歴史小説の中間、という評が多いのには頷けた。イタリア史は全くといって知らないので(でもメディチ家とか漠然と興味ある)、チェーザレを別視点から書いた書籍も読んでみたいなというのと、塩野さんの著書も今後いくつか読んでみたい。

📙黄色い家|川上未映子

老いと金欠への恐怖は誰にでもあるものだ。それが失われる状況は、少しずつ人を狂わせる。
飢えた子どものために冷蔵庫をいっぱいにしたり、今の生活から逃れたいと希っている子どもを「いっしょにいこう?」と親元から連れ出すまっすぐすぎる優しさは、そういう世界の、甚大で雑多で無情な流れの中においてはあまりに無力で愚かだと周囲に結論づけられる。それでもこの世には、“救い”があることを信じたい。

📙不都合な真実|アル・ゴア

アメリカの元副大統領アル・ゴアの著書。世界の気候変動の現状とその要因を、丹念に調べ、つぶさに取り上げて、成長至上主義の世界の在り方に疑問を呈している。ヨーロッパではなく、アメリカの政治家がそもそもこのようなテーマに関心を持っていること自体が意外だった。彼が大きくマインドチェンジしたきっかけは、最愛の息子が瀕死の重傷を負った自己だったという。まずは知ること。小さく動くこと。人間は、いつでも変わることができる。

📙「エルマーのぼうけん」をかいた女性|ルース・S・ガネット

ガネットさんのポジティブでまわりを照らし出すような明るい語りを聞いて(読んで)いると、なんだか爽やかな気分に。ベストセラー作家も私生活では7人の娘の母!
目の前の生活を何よりも大事にしていて、欲がない。たくさん苦労もあったのだろうけど、自然体で、肩に力が入っていないように見えるその生き方がとても眩しい。

2024/8

📘黄色い雨|フリオ・リャマサーレス

スペインの寒村に最後のひとりの住人として残った老人の独白。
まだ人の姿が、通常の集落としての営みがあった頃の懐古録と、徐々に人が離れ寂れていく村のこと。家族のこと、飼い犬のこと、自分の死後のこと。人が孤独というものにどのように対峙するのかが、おそろしく丁寧に描かれる。どう足掻こうとも、どうにもならない。ただ待つしかない。淡々としたモノローグ、とびきり美しい風景描写、音や匂いを感じさせる生活の描写が、その閉塞感をさらに際立たせる。最後に残るって、どんな気持ち?

📘サイコパス|中野信子

世の中には一定数、自分とは「通じない人」がいる。歩み寄りとか、そういうレベルではない。だから、そういう人には極力近づかない。歩み寄ることはしない。違和感を嗅ぎ分ける感度をしっかり持っておく。

📘本当は怖い高齢出産|週刊現代編集部

2013年刊行。煽るタイトルだが「女性には子どもを産むことに一定の期限がある」ということへの当事者(主に女性)の無知さに警鐘を鳴らすというのがメインのテーマ。一昔前は「学校で教えられていなかった」を言い訳にできた。けど、インターネットでなんでも情報が手に入る今となっては「知らなかった」は言い訳にできない。欲しくても手に入らないものの一つに子どもという存在がある。後悔は、先に立たないから難しい。

2024/9

📗休むヒント|群像編集部

33人の著名人たちによる「休み」をテーマにしたエッセイ。
くどうれいんさん。“わたしは疲労を攪拌したい”の一文に吸い込まれる。疲労を攪拌。疲れてる、だけどその疲労を払うために、あえて重ねて活動する。これ以上ない表現だ。
古賀及子さん。子どもたちの幼い頃の「自分の時間」のなさ。あえて「自分の時間」を放棄する決断。そして、時がたちその「自分の時間」を再び取り戻す感覚。共感。
向坂くじらさん。“仕事が好きというより単に、動いていることが好き、という方が正しい。そして、動いていることが好きというよりも、動いていないことが嫌い、という方が、より正しい”。わかる。
こうやって目を止め共感した箇所を書き出すと、わたしは無意識ワーカホリックタイプなのかもしれない。別名、貧乏性ともいう。

📗世界の適切な保存|永井玲衣

生きていると「その時を切り取っておきたい」と思う瞬間がある。だからわたしは日記を書くのが好きなのだが、保存というは同時に“切り離す”という行為でもある。事象まるごとそのものは決して保存できない。溢れていくものがあったり、他者からの解釈のされ方がまるで違かったり。
そんなことをどんぴしゃに題材にしてくれている本。永井さんの語りのテーマはマクロなことも多いのに、世界を見る目はいつもとてもミクロだ。そこがいいなと思う。
「世界の適切な保存」の章がとても良かった。

保存とはどこか、密室のイメージとひもづく。完璧なかたちで保存をし、いくら叩いても落としても壊れないように密封する。そしてそれを、誰かから誰かに、ひっそりと受け渡す。もしくは、暗く静かで、誰もいない場所にしまっておく。
だが、にぎやかで、よくわからない場所に蒔かれるということも同時に、あってもいいのではないか。その保存の形は、いびつで、不完全で、不十分である。しかし、蒔かれたものは、何度も多くのひとによって踏みしめられ、てごわくなってくる。空気にふれると、呼吸をする。また誰かに踏みしめられ、年をとり、変化をする。

世界の適切な保存(p.168)

報道やアーティストの作品に対する態度を考えさせられる。そのものを保存できないからといって保存することを恐れてはいけない。保存する側も、それを受け取る側も保存されたものは“変化するもの”であることを踏まえて、それに耳を傾け、見つめなければならないのだろう。

📗僕は勉強ができない|山田詠美

幼い頃から視点がどこか達観している、ある意味生きづらさを抱えている少年。この主人公だけでなく、一見普通に振る舞っていても大半が自分と周囲(世界)との違和感を抱えて生きているのが10代だと思う。けれど、人は人の中で生きるものだから「周囲(世界)とどのように折り合うか」を探っていくのもまた10代でやるべきことだと思う。
成長には自分でもがくことが必須。でも、成長のモチベーションをぜんぶ自分の力でどうにかしろというのは酷だ。一人でもいい、真の理解者の存在が必要。自分が親の立場の今、かまうでも突き放すでもなく、見守る子育てがしたい。

人には、視線を受け止めるアンテナが付いている。他人からの視線、そして、自分からの視線。それを受けると、人は必ず媚という毒を結晶させる。毒をいかにして抜いていくか。ぼくは、そのことを考えて行かなくてはならない。

賢者の皮剥き(p.168)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?