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生きづまったらデリダの脱構築。
行き詰まったら、ゼロから組み直す
デリダの「脱構築」
フランスの現代思想家ジャック・デリダは、ポストモダン思想の旗手として大きな影響を及ぼしてきました。ポストモダン思想とは、近代の哲学を乗り越えようとする一連の動きです。
小川仁志さん
仕事でも人生でも行き詰まる
息詰まる。生き詰まることがあります。
「ゼロ」リセットできないから
いきづまるんだ!とゆいたくなります。
これまで長きに渡り「構築」してきた
「自分という名の洋服」
を脱ぎ捨てるのですから容易ではないです。
が、脱しないと変わらないので
デリダのいうことを一度受け止めてみます。
デリダは、近代までの西洋の哲学が、ある種の二項対立図式に象られてきた、と指摘します。真か偽か、善か悪か、精神か物質か、自我か他我か…・・・など。そこでは常に、前にあるものが優位にあって正しく、うしろにあるものが否定されるべきものとして対置されます。
二項対立図式は、今もありますね。
ただ、
「そこでは常に、前にあるものが優位、
後ろにあるものが否定されるべき」
っていうのは、当たり前すぎて完全に
忘れていた息する行為のように、驚愕。
そして罪深い。
びっくりすると同時に、こわくなります。
論理的なものや有意味なものを最優先する「ロゴス中心主義」、文字よりも声を優先する「音声中心主義」、目の前に現われたものを真の存在とする「現前の形而上学」、男性的なものを女性的なものの優位に置く「男根中心主義」、ヨーロッパを他のどの地域よりも優位と見做す「ヨーロッパ中心主義」などが根底にあるからだ、と。
って、書いてもらって、意味をつけてもらって
初めて、「あ、ほんまや」となります。
意味のないことをするのは意味がない。
感情だけでモノを語るな。
口頭の声の大きい人に、文章では叶わない。
目には見えないものほど肝要なのに。
ジェンダーは根が深い。
いまだに無意識に西高東低かもしれない。
デリダは、こうした矛盾を生む二項対立図式を否定し、西洋近代の哲学体系そのものを崩そうとします。
それが「脱構築」という概念です。
デリダさん、ありがとう。
二項対立はあるとしても、
そこに矛盾があるということに、
気づいて気づかないふりしてました。
あるいは気づいてませんでした。
きっと当時、肯定派ばかりのなかで、
否定するのはとても勇気がいるものだったはず
世の中を敵に、あるいは自己否定にもなる
価値観を脱していくのはどれほどの苦労が
あったことか。でももしくは楽しんでたか。
まるで建築用語のようですが、実は、脱構築は頻繁に建築に応用されています。脱構築主義建築などと呼ばれるもので、その特徴は従来の建築の常識を、覆すような形態やコンセプトにあります。まるでずれたり、破壊したような建築を時折見かけますが、あれがそうです。
あえて崩す。
常識を逸脱する。
建築は、美しく整ったもの、
シンメトリーなものが好まれそう、というか
そうあるべきというのがより強そう。
だけど、だからこそアシンメトリーに。
あえて外す。
現代アートと言われるものに近い気がしますが
思考や、価値観においても昨今は、
くずしてみたほうがよいのかもしれません。
脱構築とは、二項対立の対立軸に疑いを差し挟み、骨抜きにしてしまうことなのです。
真偽や善悪の区分は、それほど明確ではありませんし、厳然と分けることができないはずです。たとえば、文化によって異なるでしょうし、人によっても異なります。
そう、そうなんです。
明確じゃないし、いうてる本人も
矛盾に気づいてたりします。
でもなんか、言えない空気があります。
さらに、やっかいなことに、同じ人でも、時によって異なることがあります。以前は、善いと思っていたことも、今考えると悪というふうに。
ここ!そこ!
同じ人でも違うなんてもう笑
変わりゆくもの、うつりゆくもの、
昨日と今日でも、朝と夕でも違うもの。
自分というものを構築しすぎて
がちがちになってませんか?わたし。
プロジェクトも行き詰まったなら、脱構築すればいいのではないでしょうか?真理が見えないなら、そうするよりほかありません。矛盾を抱えたまま進み続け、結局どこかで崩壊してしまうくらいなら、今、能動的に壊して作り直すほうがいいように思います。ということは、答えは、振り出しにあるのです。
すごろくで、「振り出し」にもどされると
めちゃくちゃショックです。
が、自分でさいをふり、自分を振り出しに戻す
ほうが、よいかもしれません、自分のために。
進退。
進むか、退がるか。
進むばかりが善ではなくって、
退避することもまた、善。
今日もお付き合いくださりありがとう
ございます
きょうは宮崎から飛行機で帰阪しましたが、
私の後の便は落雷の影響で、
大阪はとべず引き返す飛行機も
あるかもしれない、とのことでした。
引き返す勇気。