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昭和の人間くさい登場人物たちになぜかほっとする・Netflixの『阿修羅のごとく』を観て
昭和38年生まれの私は今年で62歳、まさに昭和生まれの
昭和育ち。
ザ・昭和の世界を子供時代から青春時代を生きてきて
その間に色々と変化を目の当たりにしてきた。
例えば電話
私が物心ついた頃は
まだすべての家庭には電話がない時代だった。
そこからダイヤル式の黒電話が家に設置されるようになり
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それがプッシュホン電話になり
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友達や彼氏と電話していたら
母親から長電話をよく注意されたっけ💦
私が30代になり
個人が持つガラケー(携帯電話)が普及するとメールをしたり、外出先でも気軽に電話ができるようになり
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そしてガラケーも、いつしか
タッチパネルのスマホになっていった。
そんな昭和生まれの私は、
技術やテクノロジーが発達していく過程を
肌で直に感じてきた世代なのかもしれない。
パソコン(端末機とかコンピューターと言っていた)だって
初めは会社にしかなかったのに
今では一家に一台の時代から、一人一台の時代になってきていて・・・
昭和の時代には
いつでも、どこでも、すぐに誰とでも繋がれるような時代が来るなんて想像もできなかった。
確かに色々と便利になったとは言えるだろう・・・
では、そうやってどんどん生活が便利になっていく一方で
人間の中身はどうなんだろう。
人間も進化しているのかなぁ
タイパやコスパ重視の現代に、時々息が詰まりそうになるのは昭和生まれの私だけ?
そんな私が最近ハマってしまったNetflixのドラマ
『阿修羅のごとく』
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1979年の東京。生き方も性格も異なる4姉妹が知った
老齢の父親の不倫。
これをきっかけに
一見平穏な家族関係の裏に渦巻く感情が、少しずつその姿を見せはじめる。(Netflixより)
この『阿修羅のごとく』は
もともと1979年にNHKで
放送された向田邦子さん脚本のテレビドラマ
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オリジナルは私が16歳くらいの時の放送だが、全く記憶にないから、たぶん高校生の私には興味がなかったんだろう。
物語は70代の父の不倫を発端にして4姉妹が集まるシーンから始まる。
父の不倫を、父に献身的な優しい母に知られてはいけないと気を揉む4人の娘たち。
その一方で、未亡人の綱子(長女)も不倫していたり
平凡なサラリーマンの専業主婦の巻子(次女)の夫も不倫疑惑があったり
滝子(三女)は潔癖症で正義感が強くて男性コンプレックス不倫している父を許せないし
奔放な性格の咲子(四女)は
ボクサーと同棲していて
不倫は夫婦の問題だと言い張ったり
それぞれ個性の違う4姉妹のぶつかり合いが面白い。
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滝子(三女)咲子(四女)
『不倫って絶対にダメだよね!』
『だからお父さんは最低だ』
では終わらない・・・
そこには家族の楽しかった
思い出や感情もあるのだから
父のことも一刀両断出来なくて複雑なのだ
内容は不倫や「男と女」の愛憎が含まれていて
深刻なテーマなんだけれども
なぜか、時々「クスッ」と
笑ってしまうコメディーのような雰囲気を醸し出しながらも
憎悪や怒りを司る神さまの
『阿修羅』も ”ちょこっ”と顔を出す。
完璧な人間なんていないんだから間違いや失敗は起こるし
誰でも一つや二つ、自分の秘密や隠し事を持っている。
そして、それが露呈しても
ある程度は許容しあう。
だって、私だって
色々あるわよ
お互い様だもん
・・・みたいな
それは、とかく現代の傾向で、何事も悪か善か白か黒かを決め付けるのではなくて、どこか善悪の境界線が曖昧なことを許すような流れに
ほっとするのかもしれない。
愚かな行動をしてしまう人たちの人間臭さを
私は愛おしいとさえ思ってしまうのだ。
もちろん不倫をしてもいいなんて言ってない。
裏切られて傷つく人も存在するし、家庭を壊すこともあるのだから。
それがわかっていても
一線を超えてしまう人間の愚かさや弱さを
ただ、「いけないことは絶対にやってはいけない」と切り捨てないのが
この『阿修羅のごとく』では描かれている。
生きていると、辛いことや
悲しいこと、自分ではどうしようもないことが次々と身に起こる。
それらのリスクをすべて避けたり、解決したりはできないんだと60代になった私は今ひしひしと感じている。
私も、若い頃は全てをコントロールしようともがいていた時もあったけれど😅
だから60代になった今の私にこのドラマは響くのかな?
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『阿修羅のごとく』の登場人物も、日々さまざまな悩みや葛藤を抱えながらもユーモアや笑いを交えて日常をなんとか送っている。
そんな彼女たち(彼ら)に
どこか、励まされ、慰められ
癒されている自分を感じちゃうのだ。
『仕方ないよね』
『そんなこともあるよね』と共感しながら
SNSが発達した現在では
何事も悪事を曝け出すことが正義のような風潮だけど
本来なら不倫のような問題は、身内や家族間のように当事者たちで共有して曝け出して解決したり、胸に納めたりすることで着地点を選んでいくのかもしれないな。
それには時間がかかるものだと思うし、すぐに答えや結果を出せるものではないだろう。
もしかしたら一生答えがでないかもしれないし・・・
これはあくまで
『阿修羅のごとく』を観終わった直後の私の今の気持ち。
このNetflixの『阿修羅のごとく』の監督は是枝裕和
是枝監督の目線はいつも人間に優しくて善悪を決めつけない。
このドラマでも彼の優しい眼差しを感じさせてもらった。
粒あんさんも『阿修羅のごとく』を記事にされていて
私もとても共感できる点が多くて嬉しくなっちゃいました!
これからも、粒あんさんのnoteを楽しみしています。
粒あんさん、記事をお借りさせていただきありがとうございます。
予告編です。
長文をここまで読んでくださりありがとうございます。
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読んでくださるあなたにいつも感謝しています。