アナログ派の愉しみ/音楽◎バッハ作曲『シャコンヌ』
覚醒と陶酔――
シェリングのヴァイオリンが奏でたものは
クラシック音楽史上、ヴァイオリン曲の最高峰の作品と言ったら、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『シャコンヌ』を挙げることに大方の支持が集まるに違いない。
正確には『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』(1720年)を構成する六つの組曲のなかの、四番目の『パルティータ第2番』でアルマンド、クーラント、サラバンド、ジグーのあとに続くシャコンヌがそれだ。名称はスペイン由来の舞曲のジャンルを表すものに過ぎないのだが、まさに「音楽の父」がたった一丁のヴァイオリンで神との対話を実現したかのような比類ない傑作だけに、『シャコンヌ』と言えばこの曲を指すのが通例となっている。
そして、この『シャコンヌ』を演奏して最高のヴァイオリニストと言ったら、シェリングの名前を挙げることにも大方の支持が集まるのではないか。そのしなやかで深い光沢を湛えたボウイングが最初の8小節の主題を奏ではじめたとたん、周囲の空気がぴんと張りつめ、いっぺんに別世界に引きずり込まれてしまうのはわたしだけではないはずだ。そして、主題の変奏が30回積み重ねられていくうち、聖なる存在が目の前に聳え立ち、官能の波がせめぎ寄せてくる。
覚醒と陶酔。こうした相反する感覚の共存は、エネスコ、シゲティ、ハイフェッツ、ミルシテイン、グリュミオー……といった往年の大家たちの演奏によっても味わえない、シェリングに特有のものと思われるのはどうしてだろう? そこには、かれが歩んできた稀有な人生行路が影響しているのかもしれない。
ヘンリク・シェリングは1918年にポーランドのワルシャワに生まれ、幼くしてヴァイオリンの才能を認められ、英才教育によって10代でデビューし、さらにフランスに拠点を移してパリ音楽院で研鑽を積み……と、ここまでの順風満帆のキャリアは他の演奏家と重なるところもあろうが、1939年にヒットラーの率いるナチス・ドイツがポーランドへ侵攻したことで事態が一変する。かれは亡命政府の首相付連絡将校となって、戦闘員や傷病兵と家族のために慰問演奏を行う一方で、祖国を追われた難民たちの移住先を求めて東奔西走して、その4000人を受け入れてくれたメキシコへの感謝から同地にとどまって市民権を取得するに至る。
第二次世界大戦が終結して、シェリングは国際舞台に復帰すると、レコーディングにも積極的に取り組み、わけてもバッハの『シャコンヌ』を含む『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲をモノラル(1955年)とステレオ(1967年)の二度にわたって録音し、そのいずれもが孤高と言うべき成果となったのは、やはり大戦中の政治活動が作用したもののように思う。ナチス・ドイツによって蹂躙された祖国の救済に立ち向かった体験を通じて、かれはバッハの音楽が描きだした神との対話をどのように受け止めたのだろうか? ことによると、その内面を窺うヒントになるかもしれない文章がある。
「ぼくが言っているのは、今までこの世で信じられてきたようなありきたりな神のことじゃないからだ。ぼくは宗教にはあまりくわしくないので、よくわからないが、きみは知らないだろうか、つまり、かつてこの世に、神といっても、その……不完全な神に対する信仰というものはなかったんだろうか?〔中略〕不完全さを、本質的、内在的特質としてもっているような神のことだよ。神は全知全能だと言うが、その全知全能に限界があり、自分の創造の未来を予見する場合に誤りを犯し、自分の手になるものを恐れおののかすような動きをする神があってもいいはずだと思う」(飯田規和訳)
ポーランド出身の著名なSF作家、スタニスワフ・レムの代表作『ソラリスの陽のもとに』(1961年)からの引用だ。知性を持つ海に覆われた謎の惑星ソラリスの探査に出かけた心理学者の「ぼく」が、そこに神の臨在を感じ取って、同僚のサイバネティクス研究者に問いかけた言葉だ。レムもまたシェリングと同世代で、大戦中はレジスタンス活動に関与して地下生活を送り、戦後はソ連(ロシア)が支配する社会主義体制の言論弾圧下にあって、主人公にこのセリフを吐かせたのだ。
不完全な神。もはや人類のもとには全知全能を欠いた神しかありえず、しかし、その不完全な神への信仰によってしか未来を切り開くことができないのではないか。シェリングのヴァイオリンが奏でた『シャコンヌ』の覚醒と陶酔の境地にも、こうした痛切な意識が横たわっているように思うのである。
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