アナログ派の愉しみ/映画◎清水 宏 監督『風の中の子供』
小学校の夏休みが
まぶしかった時代の記録
昭和初期の1930年代に、よく似た題名を持つふたつの児童文学が登場した。ひとつは宮沢賢治の『風の又三郎』(1933年)で、岩手県の小学校を舞台として、夏休み明けの教室に三郎という転校生がやってきて巻き起きる不思議なできごとの物語。もうひとつは賢治より6歳年長の坪田譲二の『風の中の子供』(1936年)で、こちらは岡山県の小学校を舞台に、夏休みがはじまって善太と三平のきょうだいが過ごすめくるめく日々の物語だ。
児童文学史上の名作とされるふたつの作品がともに「風」をタイトルとし、「夏休み」がストーリーのポイントになっているのは偶然の一致だろうか? まあ、そうかもしれないが、しかし、わたしは時代的なバックグラウンドが反映しているようにも思えるのだ。
こうした事情だ。日本に義務教育の小学校が誕生したのは1872年(明治5年)で、当初はその年限が3年間だったが、日清・日露戦争を経て「富国強兵」の気運が高まったこともあり、1907年(明治40年)に6年間に延長される。前後して就学率は90%に達していたものの、地域や男女の差によってかなり中途退学もあったのが解消されて、全国の子どもたちのほとんどが小学校の6年間を過ごせるようになったのが1930年ごろだったらしい。すなわち、幼いかれらが毎朝、家を出て「風」のなかを学校へ通って学び遊び、一年の最大のイベントが「夏休み」という生活が当たり前になったのを背景にして、上記のふたつの作品が生まれたわけで、その意味では貴重な時代の記録と言えるだろう。
さらに貴重なのは、『風の中の子供』は東京朝日新聞に連載中から人気を呼んで、清水宏監督の手によってただちに同名の映画(1937年)が制作されたことだ。いまからおよそ1世紀前の子どもたちの生々しい暮らしぶりを映像としても確認できるとは僥倖以外の何ものでもないだろう。そこで、とくにわたしの耳目を吸い寄せたエピソードをいくつか挙げてみたい。
◎一学期の最終日、善太(葉山正雄)と三平(爆弾小僧)のきょうだいが学校から帰ってくると、母親(吉川満子)が待ち構えていてさっそく通信簿を確かめ、成績のいい兄は褒めて、まるで反対の弟は叱りつけて勉強を命じる。そんな母親を尻目に、「夏休み」がはじまったふたりは盛んにケンカしたりジャレあったり……。
◎近所の子どもたちはおたがい家の前で、たとえば「三ちゃん、遊ぼう」といったふうに声を張りあげ、呼ばれたほうは都合がよければすぐ出ていき、悪ければ(たいていは母親に止められて)「あとで」と返答する。こうしてそのとき集合した面々によって何をするか決め、小さい子や女の子にはハンデなども定めて、おもむろに遊びがはじまる。それは子どもだけの王国だ。
◎みんなで川に遊ぶとき、三平は水着(当時はふんどし)を忘れておちんちんを出したまま泳いだり。善太が高い木の幹をさっさと登っていったあとに三平もすがりついて、ふたりで高い枝からはるかに広がる風景を見渡したり。
◎大人の領分はさっぱり理解できないながら、子どもたちも影響を蒙らないでは済まされない。ある日、父親(河村黎吉)が勤め先で文書偽造の疑いをかけられて警察に連れ去られると、それをきっかけに近所の空気もよそよそしくなり、三太が友だちに「遊ぼう」と声をかけてもみんなから「あとで」と断られる始末。その夜、きょうだいは寂しさに駆られて外に飛びだしたのを母親が止めようとすると、善太と三平は「流れ星が落っこちたんだ、拾いに行くんだよ」と応じた。夜空に輝く星々は、いつも子どもたちを慰めてくれる世界なのだ。やがて、父親の疑いが晴れて家に戻ってくるなり、ふたりは畳の上でえんえんとでんぐり返しを繰り返すのだった……。
こうして書き連ねていくとキリがない。これらのうち、いくつかのエピソードはかつてわたしも身に覚えのあることだけれど、現代ではほとんどが消え失せてしまったのではないだろうか。それはそれで必然的な時代の流れとはいえ、古いモノクロームの映像のなかでところ狭しと躍動する、善太と三平をはじめ子どもたちがひたすらまぶしく見えるのも事実なのである。
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