アナログ派の愉しみ/映画◎中江裕司 監督『ナビィの恋』

そこにはウルトラマンの
謎を解き明かす鍵が


日本映画史上で(世界映画史上でも?)最高齢の男女の駆け落ちを描いた中江裕司監督の『ナビィの恋』(1999年)には、ウルトラマンにまつわる謎を解き明かす鍵がひそんでいる。そんなふうに言ったら、奇矯に過ぎるだろうか。

 
こんなストーリーだ。舞台は沖縄の離島、粟国(あぐに)島。この地から上京した東金城奈々子(西田尚美)は仕事に疲れ、故郷に舞い戻ってきた連絡船で場違いな白いスーツ姿の老紳士を見かける。現在は祖父母だけが住む実家にはブーゲンビリアが咲き乱れ、グァバの実が鈴なりになっていて、奈々子はたちまち心身が癒され、島のあちらこちらでみながサンシンを爪弾き歌って踊る雰囲気に溶け込んでいく。やがて、くだんのダンディな老紳士(平良進)は祖母のナビィおばあ(平良とみ)の60年前の恋人であることが判明する。当時、ふたりの仲は許されず、男は島を追放されたのだが、ナビィとのあいだで必ず迎えにくると交わした約束を果たすためにブラジルから帰還したと知って、奈々子は懸命に阻止しようとしたものの甲斐なく、長年連れ添った祖父(豊川誠仁)も事態を受け入れて、年老いたカップルは手に手を取りモーターボートで大海原に乗りだしていった。

 
だが、そのドラマティックな場面を前にして、われわれは呆気に取られてしまう。なぜなら、ふたりを乗せたモーターボートはごく小型のうえ、水や食糧などを積み込んだ形跡もなく、東シナ海を渡るのはおろか、最寄りの島に辿り着くのさえとうてい不可能だろうから。いわば、出奔のための出奔でしかない。そのとき、わたしはふいにウルトラマンの行動も同じだったことに気がついた。

 
テレビドラマ『ウルトラマン』(1966年)が登場すると、小学2年だったわたしはブラウン管にかじりつき正義のヒーローの虜となりながらも、子ども心に謎だったのは、ウルトラマンが悪い怪獣や宇宙人をやっつけたあとにいつも大空へ飛び去ることだった。だって、すぐにまたハヤタ隊員の姿になって科特隊の仲間と合流するのだから、あんなふうに遠ざかるのはエネルギーの浪費ではないか。いまにして、かれもやはり出奔のための出奔を行っていたらしい、と合点したのだ。

 
もっとつけ加えれば、『ウルトラマン』において怪獣や宇宙人が科特隊の守備範囲だけに出没するのは、ドラマ制作上のご都合主義と理解していたけれど、『ナビィの恋』に触発されて、必ずしもそうではないかもしれないと思い直した。と言うのも、映画が描く粟国島には、沖縄のウチナンチューのほかに、本土から流れついたヤマトンチューや遠来の外国人までが入り乱れて、だれもかれも自己を解放して歌って踊りながら、めくるめくカオスを形成しているのだ。こうしたアナーキーな現象はどこでも生じるというものではないだろう。同じように、ウルトラマンと怪獣や宇宙人もまた、ただ賑々しく殺しあいを演じたのではなく、おたがいに異形のエネルギーをぶつけあってカオスを現出させ、そこでだけ国家の制度や秩序から解き放たれた小さな共和国をつくりあげたのではなかったか。

 
ウルトラマンの生みの親のひとり、金城哲夫は沖縄出身だ。まだ敗戦後のアメリカ統治下に置かれていた時期に東京へ「留学」したのち、1963年に日本の特殊撮影の草分け・円谷英二が設立した円谷特技プロダクション(のちの円谷プロダクション)に参画し、企画文芸室主任としてテレビ界に進出した特撮ドラマの企画立案や脚本に携わった。そんなかれのペンの先から現れた『ウルトラマン』の世界観には、おのずから沖縄の精神風土が深く横たわっていたはずだ。

 
「新北風(ミーニシ)が止んだ時、必ず私は参ります」

 
ナビィがかつての恋人に対し、駆け落ちの決意を伝えた手紙の一節だ。肝心の行き先についてはひと言もない、なにも言わなくとも自明だったのだろう。沖縄の人々が「ニライカナイ」と呼ぶそこは地平線の彼方にあるとされる理想郷で、実際に存在するかどうかは問題ではなく、彼女の60年におよんだ恋の道行きを成就させる場所はそこしかなかったろう。そしてまた、ウルトラマンが怪獣や宇宙人と戦ったあとで、みずからを浄化するために向かった先もニライカナイだったのに違いない。
 

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