アナログ派の愉しみ/音楽◎ベートーヴェン作曲『交響曲第4&7番』

天才指揮者は
楽聖の情念に呪縛されたのか


カルロス・クライバーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮したベートーヴェンの『交響曲第4&7番』のライヴ映像(1983年10月20日)をこれまで何度観たろう。そのたびにわれを忘れて、めくるめくリズムとハーモニーの奔流に呑み込まれる思いを味わってきた。

 
クラシック音楽の演奏が録音だけでなく、映像としても記録されるようになって70年以上が経ち、ピアノのソロから大がかりなオペラ公演まで、さまざまなプレイヤーによるさまざまなスタイルのパフォーマンスが目に見えるかたちで残され、そこには不朽の文化遺産と呼ぶべきものも枚挙にいとまない。たとえば、ベートーヴェンの交響曲にかぎっても、カラヤン指揮ベルリン・フィルの『第3番〈英雄〉』(1982年4月30日)、ベーム指揮ウィーン・フィルの『第6番〈田園〉』(1977年3月2日)、クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管の『第9番〈合唱〉』(1964年11月8日)などが知られているが、わたしにとってはそれらのどれよりも上記の映像記録のほうが圧倒的な存在なのだ。

 
大指揮者エーリッヒ・クライバーの子息として1930年にベルリンで生まれたカルロスは、その父親の猛反対を押し切って、1950年代からオペラハウスを中心に指揮活動をはじめる。そして、1970年代に入るとウェーバーの歌劇『魔弾の射手』でレコード・デビューを飾るのだが、一般的なクラシック音楽のファンを瞠目させたのは、そのあとに続けざまに出現したウィーン・フィルとのベートーヴェンの『第5番〈運命〉』と『第7番』のスタジオ録音や、バイエルン国立管との『第4番』のライヴ録音だったろう。そこからは、これまでのレコードではおよそ耳にしたことのない、無謀なまでに生気を漲らせた音楽が流れてきたのだ。

 
その特異な持ち味は、このカルロスが53歳のときにアムステルで行ったコンサートの映像からもありありと見て取れる。厳しい気配をまとって登場し、指揮台に立ってタクトを降り下ろすなり、その全身から凄まじいエネルギーをともなって音楽が湧きだしてくるのだ。あたかも、たったいまここでベートーヴェンの交響曲が新たに生まれ育っていくかのように――。

 
ロマン・ロランは著作『ベートーヴェンの生涯』(1903年)のなかで、交響曲の『第4番』はベートーヴェンが貴族の令嬢テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックと婚約した喜びに突き動かされ、作曲途中だった『第5番』を中断して一気呵成に書き上げたと記している。今日の研究では異論もあるようだけれど、カルロス自身、ウィーン・フィルとこの曲を録音しようとした際に「テレーゼ、テレーゼとうたうように弾いてほしい」と告げ、オーケストラが笑ったことで決裂したというエピソードが知られているから、上記の説を典拠としたのだろう。結局、テレーゼは別の貴族のもとに嫁いでベートーヴェンの愛は実らなかったわけだが、一途な想いのなせる業とはいえ激しい情念の渦巻くこの曲を聴くにつけ、わたしがテレーゼでも尻尾を巻いて逃げだしたくなる気がするのだ。

 
また、ロランは『第7番』には「律動(リズム)の大饗宴」のニックネームを与えて、こう述べている。「そこには夢中な陽気さと狂熱とがあり、気分の突如たる対照(コントラスト)があり、錯雑する、大規模な、電光のような思いつきと巨人的な爆発とがある。〔中略〕北ドイツでは『第七』は酔っぱらいの作品だと評された。――確かに酔っぱらいには相違ない。ただし自己の天才の実力に酔っているのである」(片山敏彦訳)と。この曲を聴くとだれしも手足が動いて踊りだしたくなる、そんな雰囲気を適切に要約した文章だろう。すなわち、ロランによれば『第4番』と『第7番』とは、かたや異性への恋情をとおして、かたや自己の才能への陶酔をとおして、ベートーヴェンが内面の情念をぶちまけたペアの作と見なせるのかもしれない。

 
こうした作品がカルロスの資質によほどフィットしたのだろうか。やがて天才指揮者としての名声をほしいままにすると、ギリシア神話のイカロスのように高々と飛翔して、世界各地でコンサートやオペラに大活躍を繰り広げ、新たに録音されたレコードはいずれも絶賛されたものの、まさしくその絶頂にあって翼を失ったイカロスが失墜したのと同様、1990年代に入るとファンの熱烈な期待をよそに活動を縮小させていく。そして、ついにはベートーヴェンの『第4番』と『第7番』がメインのプログラムのみを繰り返すようになったあげくフェードアウトしてしまう……。

 
つまりは、このふたつの交響曲を得意にしたというより、むしろ楽聖ベートーヴェンの情念に取り憑かれ呪縛されたのではなかったか? カルロスが最もまぶしかった時代の指揮姿に酔い痴れながら、わたしはそんな思いに駆られるのである。
 

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