アナログ派の愉しみ/映画◎木下恵介 監督『陸軍』
たったひとりの母親が
帝国陸軍と対峙した
戦時下の1944年に製作された木下恵介監督の『陸軍』は、冒頭のタイトルに「陸軍省後援 情報局国民映画」とクレジットされている。いわゆる国策映画だ。しかし、およそ戦意高揚の効果は認められないばかりか、むしろ逆に、せっかくの戦意も萎えていくかのような内容なのだ。
火野葦平の同名小説を原作とするストーリーは、北九州を舞台として、幕末の奇兵隊の闘いから、明治の日清・日露戦争を経て、昭和の満州事変・上海事変に至るまでのざっと60年間を、高木家3代の人間模様をとおして描く。テーマはもちろん大日本帝国陸軍なのだけれど、勇猛な戦闘場面のたぐいはなく、おもに「銃後」の視点から眺められている。しかも、高木家の男たちは大言壮語する割には虚弱な血統らしく、物語中の祖父にあたる友之丞は三国干渉への憤りから狭心症で斃れ、父の友彦は日露戦争に出征したものの病気で前線に立てず、その幼い息子の伸太郎は臆病のあまり友達から嘲笑われる始末だ。
つまり、この映画は、近代的な軍隊によって国民の身体が制度化されていったことを示している。かつては多少の障害があっても特別視されず、だれもが似たような資格で地域社会に参加していたところ、明治になり西洋をモデルとした兵制が発足するにおよんで、一定の基準にもとづく体力が求められたことから、個々の身体は厳重に管理され、わずかな障害さえも差別されて、その劣等感がときには高木家の男たちのように声高なナショナリストへと追いやったのだ。
しかし、柔弱だった伸太郎もやがて逞しく成長して陸軍に入営し、支那事変が勃発するなか出征の日がやってきた。その朝、高らかに進軍ラッパが鳴り響き、市街の目抜き通りで行進がはじまって、母のわか(田中絹代)は隣家の主婦に促され、「あれはもう立派に天子さまに差し上げたもんじゃけん」と首を振りながら、いつかその足は大通りに向かっていた……。
「人々が沿道にあふれ、その中を出征大隊が進んで行く。わかは人をわけわけ兵隊を見ようとする。夢中になって来る。遂に、勇ましい伸太郎の姿を見つける。わかは流れ出る泪(なみだ)をそのまま、人をわけながら兵隊について行く。しかし、その頬は笑っている」
そう台本に書かれたとおり、セリフのないまま、母はひたすら息子を追って走り、走り、走り、転び、また走り、最後に合掌して祈りを捧げる……。たったひとりの母親が帝国陸軍と対峙した。その9分間におよぶシークエンスは、日本映画が描いた最も峻烈な母親像でもあったに違いない。みずからも出征体験を持つ木下恵介は、その無言のメッセージによって情報局から睨まれ、戦時下の映画界で干されることをとうに覚悟のうえだったろう。そして、同じメッセージは戦後の名作『二十四の瞳』(1954年)へと引き継がれていく。
ことほどさように今日の目で眺めると、この国策映画は維新以来の軍隊を称揚するというより、それが負う逆説をあからさまに露呈させたことで記念碑的作品となった。その最大の逆説は、くだんの出征大隊行進のシーンに、他ならぬ陸軍省の差配によってエキストラ出演した西部46部隊113連隊の827人だったろう。福岡、佐賀、長崎3県から召集された補充兵のかれらは、もとより基準に見合った頑健な身体を持っていたために、映画撮影のひと月後、今度はだれの見送りもないなかを同じ道を博多駅まで行進し、フィリピンの激戦地へと運ばれて、そのほとんどが帰らぬ人となったのである。