アナログ派の愉しみ/音楽◎ウォルトン作曲『ベルシャザルの饗宴』
世界を支配する
王が恐れるものとは?
『旧約聖書』のダニエル書に奇々怪々な記述がある。紀元前6世紀、バビロニアのネブカデネザル王の軍隊によってエルサレムが攻略され、生き残ったユダヤ人たちが首都バビロンに連行された、いわゆる「バビロン捕囚」をめぐってのエピソードだ。地中海世界にあってネブカデネザル王のもとで栄耀栄華をきわめた帝国も、つぎのベルシャザル王の代になるとさすがに陰りが兆してきたが、為政者たちは相変わらず目の前の華やぎにうつつを抜かしてやまない様子がこのように記録されている。
ベルシャザル王、その大臣一千人のために酒宴を設け、その一千人の者の前に酒を飲(のみ)たりしが、酒の進むにいたりてベルシャザルはその父ネブカデネザルがエルサレムの宮より取(とり)きたりし金銀の器を携へいたれと命ぜり。〔中略〕是(こゝ)をもてそのエルサレムなる神の宮の内院より取たりし金の器を携へいたりければ、王とその大臣および王の妻妾等これをもて飲めり。すなはち彼らは酒をのみて金銀銅鉄木石などの神を讃(ほめ)たゝへたりし。
タガの外れた酒池肉林の宴のありさまが目に浮かぶようではないか。20世紀イギリスの作曲家、ウィリアム・ウォルトンもよほどインスピレーションを刺激されたらしい。1931年、29歳のときにこれを題材として、バリトン独唱、混声合唱とオーケストラによる前代未聞のカンタータ『ベルシャザルの饗宴』をつくり、この場面ではストラヴィンスキーやプロコフィエフ張りの前衛音楽にアメリカ発のジャズの手法も取り入れて凄まじい音響の大伽藍を聳え立たせている。
そこにあったのは、たんに音楽表現上の冒険心だけではなかったはずだ。バリトン歌手が朗々とうたいあげる「金銀銅鉄木石などの神」とは、今日の言葉に置き換えるなら資本主義の原理に他ならない。作曲当時、バブル景気を謳歌したアメリカが1929年に「暗黒の木曜日」の株価大暴落を引き起こし、世界じゅうを経済恐慌に巻き込んでいった時代状況は、ここに描かれた王と為政者たちが後先を顧みずその場かぎりの享楽に打ち興じる姿と重なるものだったろう。
ダニエル書の記述はここで一変する。突如、酒宴の場に何者かの手の指が出現して壁に見たこともない文字を書きつけたというのだ。いかにも不気味な事態に恐れおののいたベルシャザル王は、すぐさま国内の学者連中に解読を命じたものの、だれひとり応じることができない。すると、ユダヤ人の知者として知られていたダニエルが颯爽と王の前に進みでたという。
その書(かけ)る文字は是(かく)のごとし。メネ、メネ、テケル、ウバルシン。その言の解明(ときあかし)は是のごとし。メネ【数へたり】は神汝の治世を数へてこれをその終(をはり)に至らせしを謂(いふ)なり。テケル【秤れり】は汝が権衡(はかり)にて秤られて汝の重(め)の足らざることの顕れたるを謂なり。ベレス【分たれたり】は汝の国の分たれてメデアとペルシャに与へらるゝを謂なり。
こうしてともかくも意味が明らかになったことで、ベルシャザル王はダニエルに褒賞を与えたうえ諸侯に取り立てることを約束する。だが、不吉な予言が指し示したとおり、王はその夜のうちに暗殺されて大帝国は分裂へと向かっていくのだった。
ウォルトンのカンタータでは、この顛末のあとにユダヤ人たちが「いざ、われらの力ある神を声高らかに讃えよ、大いなる都バビロンはここに陥落した、ハレルヤ!」と歓喜の大合唱を炸裂させる。それは、創造主の聖なる神殿から金銀財宝を盗み取って現世の繁栄を貪ろうとする「金銀銅鉄木石などの神」、すなわち資本主義の原理に対して痛烈なアンチテーゼを突きつけるものだったろうか。あまつさえ、わたしはこのフィナーレを耳にすると、21世紀世界の支配を目論む現代の王たちも、実は、ひそかに戦々恐々としているような気がしてならない。みずからの国にある日、忽然と何者かの手の指が出現して、おのれを否定する文字を書きつけることに――。
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