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アナログ派の愉しみ/スペシャル◎別役実の思い出

2020年3月に82歳で逝去された劇作家・別役実氏とは、わたしが学生だった当時からのおつきあいがありました。野田映史編『別役実の風景』(論創社 2022年1月刊)に寄稿しましたその思い出の一端を、ここに掲出させていただきます。

「はなはだ異例ではありますが」



わたしが別役さんと面識を得たのは大学二年のとき、サークルの友人に誘われて評論同人会へ参加させてもらったのがきっかけだった。母校をともにする先輩の集まりとはいえ、ふたまわりも年上のただならぬ風体の論客たちが、たとえば品川駅近くのビジネスホテルの一室で車座になって、酒と弁当をむさぼりながら夜っぴて侃々諤々々するありさまには度肝を抜かれた。しかも、その主題が「近代的自我の崩壊過程」とあっては、ケツの青い学生なんぞに太刀打ちできるはずもなく、毎度毎度、唖然としてお説を拝聴するばかり。別役さんはといえば、アルコールは一切やらず、ひっきりなしにタバコを吹かして口をへの字に曲げ、ときにそれが無邪気な笑みとなるのだった。

あのころ、大学演劇の連中はしょっちゅう『マッチ売りの少女』や『赤い鳥の居る風景』を上演していたから、別役実とはわれわれにとって憧れの存在だった。そのご本尊と向き合えるだけでも心躍るという、そんな純情な時期を過ごしたのち、わたしは大学を卒業すると出版社に入って、今度は著者と編集者として仕事上の関係も兼ねることになった。もっとも、こちらが依頼する原稿は演劇とは無縁な、もっぱら犯罪や世相をめぐる社会時評のたぐいだったけれども。

そうした公私両面の交流を重ねて十年ほど経ったころ、わたしが結婚する際には披露宴でのご挨拶を別役さんに頼んで、ふたつ返事で承諾してもらった。ときあたかも昭和天皇が末期の病床にあり、マスコミが連日ご体調の詳細を報じて、世間では自粛ブームが蔓延していたうえに、間の悪いことに予約してあった会場が半蔵門会館という皇居に面した場所だったため、いったんは中止しかけたものの、かろうじて必要以上の歌舞音曲を控える条件で開くことができた。

したがって、そうでなくても形式張った披露宴がいっそうものものしい雰囲気ではじまったなか、やがて別役さんがマイクの前に立った。新郎のわたしとは評論同人会の集まりでつきあいのあること、そこでは『季刊評論』という同人雑誌をつくっていて、目下、自分が編集長の立場で数年ぶりの刊行をめざしていること、ところが、締切が近いにもかかわらず原稿がちっとも揃わないこと……。飄々とした、と形容したらいいだろうか、肩から力の抜けた口調でそんな次第を説明したあとで、金屏風を背負ったわたしに向かってこう告げたのだ。

「ついては、はなはだ異例ではありますが、本日この場をお借りして新郎に原稿の督促をさせていただいてご挨拶に代えたいと思います」

異例ではありますが、と断ったあとに、本当に異例なオチのつけ方のおかしさ。あまつさえ、宴席には勤め先の社長をはじめ、出版業界の関係者が多く列席していただけに、ふだん原稿を催促する側とされる側を引っ繰り返してみせた手並みが爆笑を呼んだことはいうまでもない。

         ※

結婚の話題ついでに、もうひとつエピソードを紹介しよう。ただし、こちらはわたしではなく、別役さん自身の結婚にまつわるものだ。

平成の時代もずいぶん経過した、ある蒸し暑い夏の午後、杉並区永福寺の別役さんのお宅を訪ねた。もっとも、どのような事情だったのか、このとき別役さんは不在で、夫人の女優・楠侑子さんと麦茶をいただきながら気軽なおしゃべりをしていた。すると、前後のつながりは忘れてしまったのだけれど、楠さんがこんな思い出話をされたのだ。

「あれは別役と結婚して、新婚旅行に出かけたときのこと。ぼくがすべて計画するからついてくればいい、というので、あたしは旅行鞄をぶら下げてあとについていったの。そして、どこかの駅の何番線だかのプラットフォームで列車を待っていた。ところが、十分経っても二十分経っても三十分経ってもやってこない。ふたりでずーっと突っ立っていて、結局、そのまま帰ってきたの。ね、なんだか別役の芝居みたいでしょ?」

         ※

実は、わたしが別役さんの作品でいちばん衝撃を受けたのは、『あの角の向う』だ。これは舞台ではなく単発のテレビ・ドラマで、ネット検索によれば、一九七四年(昭和四十九年)九月十八日水曜の午後八時から九時にかけてNHKが放映している。ということは、わたしが高校一年の時分で、父母と弟とともに家族四人で見たはずだ。もとより、のちに親交を持つとは知るよしもなかったが、脚本としてクレジットされたその名前が初めて記憶に刻まれた経験だった。

ストーリーは、西村晃と市原悦子の夫婦が子どもたちと借家住まいをしていたところ、夫は家族に内緒で建て売り住宅の購入を決める。会社の同僚が慎重にことを運ぶように助言しても耳を貸さず、すっかり有頂天になって引っ越しの期日を待ち構えているうち、悪徳不動産会社の詐欺によりカネを騙し取られたことが判明する。しかし、夫はそれを家族に打ち明けられず、借家も追い出されて、家財道具をリヤカーに積んで夜の町をさまよいながら、子どもたちに「おうちはどこ?」と聞かれるたびに、「あの角の向う、あの角の向う」と答えることしかできない……。

今日に至るまでわたしが見聞してきたなかで、さりげないセリフにぞっとした経験では随一のドラマだ。別役さんの作品についてはただちに「不条理」のレッテルを貼って理解される向きがあり、それはそれで重要なキイワードではあるのだろうが、たった一度見たきりのこの作品にはもっとじかに迫って来る生々しさがあったと記憶している。

かれこれ半世紀近くもそんな思いを抱いていたところ、内田洋一氏の著作『風の演劇 評伝別役実』(白水社)を読んでいて膝を打った。別役さんは一九七〇年に楠さんと結婚した直後、なんと、親族から託された二階建ての家屋を新居にするべく建て替えようとして、「よくわからない詐欺のようなこと」に巻き込まれて失ってしまったというではないか。つまり、このドラマには自身の実体験が反映していたらしいのだ(ちなみに、同書では、別役さんと楠さんは新婚旅行で無事、出雲大社へ出かけたことになっているから、先に記した楠さんの思い出話はいささか事情を異にするかもしれない)。

とまれ、あの一家が路頭に迷うラストシーンを目の当たりにして、わが家の茶の間もひとしきり重い沈黙に閉ざされたものだ。日々の生活がいかに脆弱な基盤のもとに成り立っているかを突きつけられたからだろう。そして、もうひとつつけ加えると、別役さんに来賓のご挨拶をしていただいた結婚披露宴の相手と、二十年後にわたしは不覚にも離別に至った。現在は再婚相手と暮らす。もし「不条理」をいうなら夫婦こそ最たるものじゃないかと、いまだにうろうろ人生を手さぐりしながら、「あの角の向う、あの角の向う」と自分に言い聞かせているのである。

別役さんと出会えたことは幸せだった。


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