アナログ派の愉しみ/映画◎市川 崑 総監督『東京オリンピック』
東西対立も商業主義もドーピングもない
人類が夢見た大会の記録
その年、わたしは青梅街道に面したお寺が営む幼稚園に通っていた。だから、東京オリンピックの開幕の前日には、あらかじめ通知された時刻にみんなで外に並んで、目の前を走りすぎる聖火ランナーに日の丸の小旗を振ったという記憶がある。激しい雨脚のなか、だれの紙の国旗もたちまち破れ落ちて、路上に真っ赤な日の丸が散らばっていくのに見とれながら……。
それは本当に自分が目撃した光景だったか、それとも当時の写真や映像によってのちに再構成された光景か、われながらはっきりしないし、実のところ過去の記憶とはそんなふうに曖昧模糊としたものであろう。だからこそ、後世に伝えられる写真や映像の価値は計り知れず高い。そうした意味で、あの東京オリンピックについて市川崑監督のドキュメンタリー映画が残されたことは僥倖だ。
誤解のないよう念を押しておくと、2021年の二度目ではなく、1964年に開催された初の東京オリンピックのほうの記録である。
冒頭には「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」とのメッセージが掲げられるが、この言葉に偽りはない。日本が敗戦後の復興から、高度経済成長へと突入した若々しい時代。世界を分かつ東西両陣営の対立にともなうボイコット騒動や、いまでは当たり前となったあからさまな商業主義の跋扈、あるいは参加選手たちへの厳格なドーピング検査実施といった事態が出来する以前の、つまり人類がスポーツの祭典を通じておたがいの友好と未来への希望を素朴に信じることのできた、この東京大会が最後のオリンピックだったのである。
10月10日。前日とは打って変わって雲ひとつない青天のもとでの開会式のシーンが映し出されたとたん、わたしは涙が込み上げてしまうのをどうすることもできない。
市川監督の関心は競技の記録よりも、ひたすら人間のドラマに向けられる。一投の前にひたすらユニフォームをかきむしる砲丸投げの選手、レースが終わったあとの血まみれになった足裏を撫でるマラソン選手。異彩を放つのは、80mハードル決勝に臨んで両のこめかみに絆創膏を貼り、放心した顔つきでフィールドをうろついている依田郁子選手の姿だ。そこには有名無名、勝者敗者の別はなく、さらには昭和天皇以下の関係者・役員から無数の観客までが、すべて同じ存在感をもって克明に捉えられていく。こうした編集方針は、映画の公開当時に毀誉褒貶を呼んだらしいが、現在でも強烈なインパクトをもって迫ってくるゆえんだろう。
とりわけ、自転車の個人ロードレースに目を奪われる。わたしが住んでいた「三多摩」地区の一角、八王子市の田園地帯で繰り広げられた選手たちの戦いに、沿道から応援しているのはまさにわたしと等身大の連中なのだ。着ぶくれして真っ赤な頬で声を張り上げるかれらに、メガネをかけた子はひとりもいない、イジメや虐待で瀕死の思いをしている子もいないだろう。いまだ貧しくともやみくもなエネルギーでいっぱいの「腕白」たち、「お転婆」たちの記録映像だ。
あれから半世紀あまりの歳月を経ての、再度の東京オリンピックを河瀬直美監督が撮ったドキュメンタリー映画をわたしはまだ観ていないけれど、そこにはかつてよりもずっと進化した日本社会の光景が映り込んでいることだろう。しかし、もはや「腕白」たちや「お転婆」たちの姿は見当たらず、もっぱら高齢者の存在感が幅をきかせているに違いない。現に、わたしが通った青梅街道沿いの幼稚園も、やがて老人ホームとなり、いまでは葬儀会場となっているのだから……。