アナログ派の愉しみ/本◎ドストエフスキー著『白痴』
最後の「五分間」を
どう過ごしたらいいのか?
文豪ドストエフスキーの後半生の伴侶だったアンナ夫人は、その回想記のなかで「十四年間生活を共にしてきたわたしとしては、フョードル・ミハイロヴィチは無限に善良な人間だったと証言することは自分の務めだと思う」(松下裕訳)と記している。かなり気負った書き方なのは、生前の夫を知る文壇関係者への反論の意図があったからだ。いまになって、ドストエフスキーがいちばん似ていた作中人物は地下生活者(『地下室の手記』)やスヴィドリガイロフ(『罪と罰』)、スタヴローギン(『悪霊』)らだとして、邪悪で淫蕩な連中に譬えられたのがよほど腹に据えかねたらしい。
その代わりに夫人が挙げたかったのは、名指しこそしていないものの、ドストエフスキーが突きつめた「最も美しい人物」とされる『白痴』(1869年)のムイシュキン公爵と見なしていいのではないか。と言うのも、そもそもこの風変わりな主人公に対して、自分と同じ重度のてんかんの持病を負わせるなど、作者本人がおのれの分身のように描いていることは明らかなのだから。
それだけではない、さらに重大な自己投影もある。スイスのサナトリウムからペテルブルクへとやってきたムイシュキン公爵は、遠縁にあたる上流家庭を訪ね、美しい令嬢たちを前にして盛んなおしゃべりに興じる。すると、ふいに前後の脈絡もなく、自分が知りあった政治犯の青年に聞かされたという話をはじめた。その男はかつて死刑の宣告を受けたことがあり、あとで罪一等を減刑されたが、いったんは他の囚人といっしょに銃殺の刑場へと連れていかれ、もう間もなく死ぬものと確信して、そのときに考えた内容をこんなふうに伝えたというのだ。木村浩訳。
一人の神父が十字架を手にしてみなのところをまわって歩きました。ついに生きていられるのはあと五分間ばかりで、それ以上ではないということになりました。その男の言うところによりますと、この五分間は本人にとって果てしもなく長い時間で、莫大な財産のような気がしたそうです。この五分間にいまさら最後の瞬間のことなど思いめぐらす必要のないほど充実した生活が送れるような気がしたので、いろんな処置を講じたというのです。つまり、時間を割りふりして、友だちとの別れに二分間ばかりあて、いま二分間を最後にもう一度自分自身のことを考えるためにあて、残りの時間はこの世の名ごりにあたりの風景をながめるためにあてたのです。その男はこの三つの処置を講じて、このように時間を割りふったことをよく覚えていました。
周知のとおり、ドストエフスキーは1849年、27歳のときに社会主義のグループに参加したために逮捕されて死刑となり、銃殺直前にかろうじて皇帝の恩赦で生きのびた稀有な経験を持つ。したがって、ムイシュキン公爵が出会った「その男」とはドストエフスキー自身に他ならず、すなわち、作者本人の実体験が作者の分身の登場人物の口をとおして語られるという、二重に縒りあわされた自己言及をなしているのだ。みずからにとっても、上記の成り行きはよほど驚きに満ちた発見だったのだろう。
わたしが初めてこの個所に接したのは十代の終わりのころで、以来、人生最後の「五分間」というものが深く刷り込まれてしまった。そのときには同じように、二分間+二分間+残り一分間に三分割して、友だちと自分と世間との訣別にしようと思い定めたのは、まだ若かったぶん、自分もなんらかの事情で将来死刑にめぐりあう可能性を感じていたからに違いない。果たして、友だちに別れを告げたのち、いよいよ自分自身について考える段となった際には何が起きるのだろうか。ドストエフスキーはこう報告する。
いま自分はこのように存在しているのに、三分後にはもう何かあるものになる、つまり、誰かにか、何かにか、なるのだ、これはそもそもなぜだろう、この問題をできるだけ早く、できるだけはっきりと自分に説明したかったのです。誰かになるとすれば誰になるのか、そしてそれはどこなのであろう? これだけのことをすっかり、この二分間に解決しようと考えたのです!
いまやこの年齢までとりあえず無事に歳月を重ねてきた結果、昔日に較べれば死刑となる可能性はずいぶん縮小したことだろう。だとしても、ドストエフスキーがムイシュキン公爵を介して開示したテーゼは意味が軽くなるばかりか、逆にいっそう重みを増してきた思いがする。わたしはやがて人生の終焉に臨んだときに、(もしアタマがはっきりしていれば)やはり最後の「五分間」を三分割して今生に別れを告げようとするのではないか。ひっきょう、この世に生まれ落ちた者は、人生の長短こそあれ、その結末に必ず死の運命が待ちかまえている以上はだれしも死刑囚の身の上なのだから。