【書評#1】塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上下巻)』
「教皇は太陽、皇帝は月」。中世末期に広まるこの風潮に真っ向から立ち向かった神聖ローマ皇帝フリードリッヒ二世。今回は、塩野七生さんの代表作『皇帝フリードリッヒ2世の生涯(上下巻)』(新潮文庫、2020年)を取り上げ、彼の生涯に迫っていく。
フリードリッヒ二世とは?
神聖ローマ皇帝フリードリッヒ二世(1194~1250)をご存じだろうか?
高校世界史を学んだ方であれば、何となく耳にしたことがあるかもしれない。ヨーロッパ中世末期に、神聖ローマ皇帝かつシチリア王国の王として広大な領土を持つ君主として君臨し、第五次十字軍においては、外交を駆使して一時的にせよイェルサレムの奪回に成功した人物といえば思い出すだろうか。
私自身は、受験勉強時に使っていた参考書に以下のようなエピソードが書かれてあり、漠然とフリードリッヒ二世に対して、学問好きで好奇心が旺盛な人だったといったイメージを抱いていた。
しかしながら、本書を読んで、彼に対するイメージは一新した。
自分自身の信念に忠実に
フリードリッヒ二世が生きた時代、社会に広まっていたのは「教皇は太陽、皇帝は月」(君主は教皇の権威によって、その威光の輝きを受けている)という風潮だ。一方で、フリードリッヒ二世は、この考えに反し「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」(今日における政教分離)と考えていた。当然、教皇からは「異端」扱いされ、神聖ローマ帝国という俗界のトップにもかかわらず、3度も破門される。
ところが、彼はこうした境遇におかれても、自らのなすべきことに邁進し続ける。
とりわけ、彼が治めていたシチリア王国では、従来の統治方法を刷新し、「法治国家」なるものを目指していく。そのハイライトは世界初の憲法「メルフィ憲章」の作成である。「皇帝が命ず(Comanda lo Imperatore)」で始まるこの憲法は、神の意を伝える「教会法」が一般的であったこの時代において、非常に異質なもので高位聖職者たちから危険視されるものだった。それにもかかわらず、法の有効性に気付き、法の下に中央集権化を進めようとする。その結果、シチリア王国は官僚制度や貨幣制が整備され、安定した状態を実現した。塩野さんは、このシチリア王国におけるフリードリッヒ2世の国家の建設を、こう評す。彼の「作品(オペラ)」であると。
本書では、様々な困難が目の前に現れても、自らの意志に忠実に自らが正しいと思うことを実行していくフリードリッヒ2世の生きざまが克明に描写されている。凛とした姿を見せ続けるさまは、リーダーとしてのあるべき姿が強く印象づけられるようだ。
バランス感覚に優れた人物
もう一つ、彼を特徴づけるのは、バランス感覚に優れた人物であったということだ。というのも、彼はキリスト教世界における俗界のトップであったにもかかわらず、柔軟な発想で、当時としては極めて珍しく、異教徒に対して寛容で宥和的な政策を行っていたからである。
その代表的な事例が、異教徒に対する集団移住政策である。シチリア島には、キリスト教徒のみならずイスラーム教徒(当時はサラセン人と呼ばれていた)も住んでいたのだが、1221年の冬、シチリアの農村地帯に住むイスラーム教徒たちが一斉に蜂起した。その対処に際して、彼はそのイスラーム教徒たちをシチリアからイタリア南部の都市ルチェラへと移住させたのだが、なんと新たに作ったこの街に「サラセン人のルチェラ」を意味するラテン語を付与するのみならず、完璧な信仰の自由を認めたのである。
イスラーム文化やビザンツ文化、ラテン文化が交差するシチリア島で育った彼にとって、異教徒は「排除」ではなく、「共生」の対象であった。実際に、イスラームの学問の先進性に目をつけ、国内に積極的に取り入れ、アラビア数字の効用を論じている。
自らがアラビア語を理解し自由に操ることすら出来たフリードリッヒ二世だからこそ、たとえ異教徒のものであっても「良いものは良い」として受け入れる姿勢を有していたのである。
最後に
以上が、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上下巻)』のまとめである。
作者の塩野さんは、知る人ぞ知る歴史物語の大家。この書籍をはじめ『ローマ人の物語』や『十字軍の物語』など、地中海の歴史を長年にわたって語り続けている。地中海の歴史という我々にとって時間的にも空間的にも遠く隔ったところを主題とした歴史物語であるにもかかわらず、一度読むとページをめくる手が止まらなくなる。個人的には、「歴史は人間の営みによって構築されていく」ということを再認識させてくれる作家さんだと思っている。
西洋の歴史に興味のある方や地中海の文化に興味のある方に、ぜひ手に取っていただきたい書籍である。
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